以前にもブログで書いたかもしれませんし、本でも書いたのかもしれませんが、なにしろブログの記事も前回のものが998件目ですし、本を書くときも最終的にはページは200ページちょっとでしたが削って削ってしてそのページ数にしたものです。最初はもっと膨大な量でした。多分紙に印刷してならべたら大阪から東京まで到達するくらいの量だったはずです。
ちょっとおおげさか(=^_^;=)ゞ
ブログにかんしても前回の記事が998件目なんですね。おどろきです。ということは今回が999件でスリーナインだ。確率変動の可能性が高いわけです。
・・・いやそういうことでなく、よくもまぁこれだけ書き続けてきたなと驚きです。
ようするに自分が過去に書いたか、発言したかは覚えていないってことです。だから重複するかもしれませんが、初めて読んでくださる方もいるでしょうしそのへんはまぁご容赦ください。
山にパワーが山盛りなのは木々がたくさんあり、動物や鳥がたくさんいたり、大きな石や岩があったり、水が湧き出ていたりそれらがぎゅっとつまっているからと書いています。
なぜ木々がたくさんあったり水が湧き出していたり、大きな石や岩がたくさんあるとパワーが大きいのかといえば、この世の中に存在するものにはすべて神様の力がこもっているわけです。ひとつひとつは小さいですが木々がたくさんある、石や岩がたくさんあるとそれが集まったら大きな大きなパワーになるということ。
たとえばうちの神社には樹齢800年を超える大きなエノキの大木があります。これはその木だけで神様の力をもつ木として御神木として信仰の対象になっています。他にもびっくりするぐらい大きな石とか、ものすごく大きいとか、非常に長寿とかそういう場合ですね。
で、普通の木であれば神様の力を少しだけ持っているてことですが、それは私たち人間も同様で、自分の内に神様の力を少し持っています。空を飛んでいる鳥も、森の木の上にいるリスも同じように神様の力を少しずつ持っています。だから人間も鳥もリスも、桜の木もヒマワリの花も神様の一部分だと言うわけですが。
人間もそういう神様の力を内に少しづつ持っている、であれば人間が大勢集まる大都会にいたらそれらが集まって大きな力になるのでは。山が木々や石や岩、鳥や動物、水などが集まって大きなパワーになっているなら、都会にもびっくりするくらいの数の人がいるんだから都会にても山と同じようなパワーが得られるのではともなりそうです。
が、そこは人間は自分の内にある神様の力の他に自分の自我というか、神様の力の外側にいろんなものがこびりつきますから、その力はだいぶん小さいですよね。
その変わりによく言いますが、人が集まることで町には活気がうまれますね。人が集まって生まれる活気ですから、神様の力の合計値よりも人の思考や行動(なかには邪念もありますしね)の力のほうが大きくなるわけなので、ちょっと疲れたりするのかもしれません。
またそもそも人間はがんばっても100年ちょっとですが、山の木なら300年、400年生きているのは当たりまえですし、数億年前からある石や岩なんてのもあるでしょう。それらとパワーの大きさを比べてもちょっと桁が違います。
そんなことですから人間が自然を征服して、自由に利用するというそういう考え方では方向がおかしくなってしまうと思います。人間が(個人として)この世で活動する時間はほんの一瞬ですし、できることも限られています。人間が自分たちで決めたルールでなく、1000年前、億年前からある自然のルールを守っていかないと。
そういう意味では今毎日ニュースになる原子力発電については自然のルールを逸脱しています。私は原子力はもう再稼動はやめてほしいなと切に願います。よくあるのが、それなら電気のない生活をするのか?という意見がよく出ますが、やってみたら意外とできるもんですよ。
またそういう極端なはなしでなく、電気のありがたさを忘れないで浪費しないだけで原子力がなくてもいける(そのようだ)と思われる。
そもそもほんの数十年前まではそれで当たり前でしたしね。
先日山の上のお寺でご厄介になっていたんですが、そちらでは電気が通ったのが数年前ですし、おくどさんでまきでご飯を炊いたり、夜の灯かりに行灯つかったりしてました。(あ、おくどさんとはカマドのことです)
本当に今の時代に生きる人間に自分たちは自然の一部であることを思い出してほしいなぁと思ってます(まぁ私はエラそうなこと言える立派な人ではないのであまり言えないんですが)
ランキング↓にクリック、ご協力お願いします。

