秘すれば花3

前回からの続きです先に前の記事を読んでいただくと意味がつながります。

はっきりと言葉にして表した場合、それは言葉を発した人の受信機を一度通したものですから、その時点で元のものとはまた違う新しいものが生まれていることになります。そしてその時点でそれは形を持ちますから、そこで有限となり仮にその言葉を発した人以上に感度のよい受信機を持った人がいたとしても、その有限以上のものは受信できなくなる。そんなふうにも思えたりします。

言葉にしてはっきりと表したものは、見えないものを形にするということなので多くの人にとって理解しやすいものになるのですが、言葉にした時点でそこには元のものとは別の新しいものが生まれている。目に見えないものを表そうとすると、何か他のものに例えて表現するしかないですからそれは別のものになるのは当たり前です。
だから言葉にしたものは、元々の「ミエナイチカラ」そのものではなくて、ミエナイチカラへ到達するための地図であるということですね。


「ミエナイチカラ」を私たちがいまいる次元の世界にもってくるためには、その力を受け取る人が、自分の脳や、目や鼻などの器官、心や感性を通して実体化させます。だからチカラを受け取る人のもつ受信機の性能によっては、ミエナイチカラは米粒ほどの大きさでしかないこともあるし、海よりも大きくなることも可能です。
もしミエナイチカラが目に見えたなら、目に見えているそれ以上の大きさにはなれないですしね。
今回の「秘すれば花」も、なんでもかんでも明らかにしてしまうのがいいわけではない。あえて秘することで「ソレ」は空よりも広く、海よりも深くなることができる。てことと、
またそれをもう少し踏み込んで考えると、もともとこの書物は秘伝書であり、芸道の神髄を記したものです。神髄とはそのものの本質であり真の姿ということですから、真理ともいうべきものです。真理とは立場や時代が変わっても変らない価値や事実。

どんなものでもその道を極めると行き着く境地は同じところにあります。極めるというのは言葉で聞いて、読めばそれできるものではありませんし、またそれを言葉、文字で表すこともできません。悟るというか、わかりやすいのは「気付き」ですよね。自分が気付くわけです。

で、宗教でも、書道、武道、花道、茶道、芸道、みな違うものですが道を極めると到達するところは同じです。真の美しさというものにはある種共通するものがあるというのもよくいわれます。黄金比率なんていうものあります。それはおいておいても、道を極めるとなぜ同じところに到達するかといえば道を極めるということは真理に近づくということですから。
時代や立場が変っても、変ることのない普遍的なものや価値。それは目に見えるものとして表せるか、明らかにすることはできるのか?それは「ミエナイチカラ」なのではないのか。

風姿花伝を書いた世阿弥はおそらく「能」という道を極めた人物ですから、そういう境地に至っている、そういうことが書かれているのではないかと思います。
といっても私は「風姿花伝」を読んだわけでないので、勝手にそう想像しているだけですが・・・



産業革命後の近代は、科学技術が急激に発達し、目にみえるものが全て、という風潮があります。でも実際のところは人間が見ることができている、知っていることなんてほんの僅かなんでしょう。
それを元になんでもできると錯覚している部分があるので現代、大変なことになっているのだと思います。先般の原子力の事故しかり、地球の急激な環境変化(破壊)しかり。

人間のみえないところに広がっている世界、存在するミエナイチカラ、これらを思い出すことが必要なのでしょう。それには神社へいくのは最適です。神社ってそいう場所ですから。ミエナイチカラが充満する場所です。
ちなみに、神社でも「秘すれば花」です。神様は静に、厳かに、鎮まるのです。社殿でも普段は扉は閉じておきますし、御簾を垂らし直接は中が見えないようにします。


私が神社、神道がすごいものだなぁと思うことがあります。それは、まずここまでに書いてきたことですが、
「ミエナイチカラ」そのものを言葉で表したり、明確にすることは明らかにすることはできない。神道は「言挙げせず」として経典を持たずにきた。
しかし神道は日本で神話の時代、文字を持つずっと前から存在し、それが現代もまだ生きていること。現代人である我々の中に生きています。
それは言葉にすることができない「ミエナイチカラ」そのものを、言葉でなく伝え、受け継いできているということです。変ることのない普遍性、真理がまともに受け継がれている。そう思います。数千年前のものが現代でもいまだに生きているというのは、時代や立場が変っても変らない真実。ぴったりです。
これはものすごいことで、多分それができるのは日本だけだと思われます。世界中で数千年のあいだ途切れずに存続している国はおそらく日本だけではないでしょうか。世界では国が滅び、新しい国が興る、それが繰り返されますが、日本はずっと国が続いていますからね。

というわけですから、日本復興「がんばろう日本」です。

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コメント

すみません、まったくうまく言えないですが、
あぁしなさい、こうしなさい。
これこそが真実!!それ以外はダメ!!
と言わない、神道がいちばん好きです♪

なんか、アホの子の文章になってしまいました・・・(*_*;

國學院大學の前学長の方が、神道の経典は「古事記」「日本書紀」「風土記」「万葉集」だとおっしゃっていましたが(
池上彰さんの本の中で、池上さんに「神道の経典は?」と聞かれた時に、その4つを挙げてらっしゃいました。)
なぜか、違和感があったのです。
今回の神主さまの「神道は言挙げせず」というのを聞いて、
納得しました。

・・・(-_-;)

今回の神主さまのブログの内容、分かるんですが
まだ自分の中でちゃんと理解していないというか、体感していないんだと思います。

すみません。
変なコメントで。

2011/08/22 (Mon) 13:44 | キノコ #- | URL | 編集
いつも

こちらでは、知りたいことが解説いただけてありがたいです。
神と人との関係(祀るということの意味)や、けがれの意味など。
それはかつては、日々の生活の中で生得したり、自然と教えられていて、
あえて言葉にはしていなかったのかも知れませんね。
でも、語り合う、確認し合うというのも、いいものです。

言挙げぜす、でイメージしたのは、あえて本質には触れず、
周辺のたくさんの事柄の総体として、
そのものを理解していくような感じです。
こんなことは、ブログを拝見しなかったら考えなかったので、
おもしろかったです。

日本書紀は対外的正史で、古事記は内部資料だとか。
内部資料なら、知らないとですね。

2011/08/25 (Thu) 00:33 | ぽお #zWOVatjo | URL | 編集

こんばんは。
何時も学ばせて頂きながら 楽しく拝見しています。

今回友人が入院しました。

神様の下さった 人生の休憩時間なのだから ゆっくり休ませて頂きなさい。

神様にお仕えする方のお書きになったご本です。
心と体に 余裕ができたら 読んでみてね お勧めです♡~

と書いたメモを添えて 御著書をプレゼントしました。
良いお見舞いになったなぁ~と 自画自賛?しています。

肩が凝らずに 楽しく 面白く 気付きと学びを頂き 癒されると思います。きっと友人も今頃は読み進んでいることでしょう。

人間はどうして 病む人と 病むことなく頑健な人がいるのでしょうか。ラッキーな人とそうでない人になる 運命の線引きを 神様はどうお決めになるのだろうかと考えてしまいました。 

2011/08/25 (Thu) 20:54 | 言の葉IS #- | URL | 編集
キノコさま


いえ、ちっとも変なことありません。
内容わかっていただけますか。それはうれしい。
私もキノコさまと同じような感じですよ。自分の頭のなかというか、なんとなく感じているのですが、それをちゃんと理解しているのかどうかわからない。
だからそれをこのように、文章で書こうとするとちょっと違うような感じもしています。
まさに今回かいたことそのままです。

2011/08/26 (Fri) 20:06 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ぽおさま

そう思います。もともと特に教えられるわけでもなく、祖父母、父母、それらから自然と教わる、あるいはその姿をみて自然と覚える、感じ取る、そういうのが今なくなってきていますから。
そもそも祖父母と暮らすことが少ないですもの。
私は、言挙げせず、というのは素晴らしいと感じていますが、
現代社会においては、一部言挙げしなければいけないと思っています。入り口に誘うというか、入り口までの道筋はつけておかないと、現代は情報が溢れすぎていて入り口までたどりつけない。
それでちょっとおかしな、違う入り口へ行ってしまう人も多いですから。

2011/08/26 (Fri) 20:10 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
言の葉IS様

こんばんは。
本をそのように贈ってくださるとは。ありがとうございます。たいへんよろこんでいます。

病む人、病むことなく頑健な人がいる。これはおきている現象のことですよね。
ラッキーな人とそうでない人になる運命の線引きを神様はどうお決めになるのか、これはまた別なような気がします。
おきている現象そのものにはラッキーもアンラッキーもないんですよね、本当のこところ。ラッキーか、そうでないか、これは人間の基準であって、そのでき事をラッキーと感じるか、そうでないと感じるか、それだけの違い。
死がなければ新しい命の芽吹きもないんだと思います。(多分)

2011/08/26 (Fri) 20:18 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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