続)人って一体

昨日からの続きです。先に前回の記事を読んでもらうと意味がわかります。

私という個人は、自分という人間は一体どういうものなのか。自分の体の中身を臓器移植ですべて入れ替えたとたらそれは自分なのか。あるいは別人なのか。
もしくは私の脳を、別の体に移植したら、その体には私の記憶が入ります(と仮定)。すると多分、その新しい体をもった個体が自分だと認識するのではないかと思います。

ということは・・・
自分という人間とは記憶のことなのか?と考えてしまいます。
だって、全く別の体に自分の記憶、たとえば親が誰であって、どこで生まれて、どこの学校へ通っていて、どんな人と恋をして、結婚して(私はしてませんが・・・( ̄_ ̄|||) )、どこで働いていた・・・それって自分自身だと思いますが、
そういう記憶が今の自分の体とは違う体へと移ったら、その記憶をもった別の体を自分だと認識するんじゃないか?と。

もしそうならば。目で見ることができる自分とは顔や手足、臓器などの肉体で、それぞれの単位で私やあなた、個体として認識されていますが、その個体にはさほど大きな意味はないのではないかとも思えてしまいます。



自分の記憶って自分が今までに経験してきたことなんでしょう。それらを経験してきたものは、肉体なんでしょうか、記憶なんでしょうか。
よく「自分が生きてきた証」、ということを言いますが、それは肉体に残るものなのか、自分の記憶に残るものなのか、あるいは他人の記憶に残るものなのか。
そもそも記憶ってその人がいままで経験してきたことを脳で覚えていることですが、「覚えている」ということは「思い出す」ということをしなければ存在しません。脳の仕組みはそうなっているらしいです。
記憶するというのは「思い出す経路」が作られること。要するに記憶って、あるものを保存しているわけではなくて、思い出すときにその度に脳が作り出しているってことです。だから記憶違いがおこるんですね。

じゃぁ自分という存在が記憶によるものだとしたら、その記憶とは人が思考するときにその都度あたらしく作られているのですから、自分という存在(個人)は人の思考の中だけの話しになってしまうのではないのでしょうか。


人間は思考しますから、自分という存在(個体)が思考の中だけの話しだとしても、では思考しないものの場合はどうなのか。(実際には石や水も思考しているけど、我々が知らないだけかもしれませんが・・・)

水は、雨として空から降ってきます。それは地中にしみ込んだり、川や海で液体の水としてたまります。それらは蒸発すると水蒸気になって気体となって空に昇っていき、雨雲をつくり、再び雨として空から降ってきます。
これ、空から降ってくる雨の一粒一粒は違う個体のように思いますが、でも川を流れている水はそれ全体で一つのもののようにも思えますし、いくつもの川の流れが集まって海に流れでるとそれ全体で一つのもののようにも思えます。
蒸発して水蒸気になっていくと境界すらあいまいになっているようにも感じます。
でも、結局同じものなんですよねこれ。水です。


人もそれと同じなんじゃないかと思います。
自分がいて、他人がいる。それは別々の個人として思われますが、空から降ってくる雨の一粒と同じです。人間個人は別々のようにもみえますが実はすべて同じものなんだと。
人間は思考するものだから、思考の中で個人が生まれ、それが全てに思えてしまうのではないのでしょうか。いま雨粒の姿である自分がすべてであって、そのあと川になったり、水蒸気になり全体と混じり合うことがわからないのでは。
もし人間が記憶をもたなければ、思考しなければ、それらの摂理の通りに生きるのでしょう多分。


いま、人がその全体の枠から外れかけているような気がしてなりません。
今回の原子力発電所の事故では、もともとは自然界に存在しない放射性物質が大量に検出されています。これものすごく恐ろしいことです。

臓器移植や、クローン技術、ES細胞、体外受精、代理出産、高度に発達した医療技術などすさまじい技術があり、その恩恵ははかりしれないものがあります。しかし医療関係者や患者の家族も意識が戻る見込みのない患者への延命治療について本当にそれでいいのか悩まれます。


人って一体なんなんでしょうね。人はどうするべきなのか。
ヒントは神道にあります多分。(あ、神道って神社のもとになっている考え方のことです)
もちろんヒントは神道以外にもいっぱいありますけどね。

と今回はあまりまとめきれていない、私の頭の中をなぐり書き記事でした。


日本復興「がんばろう 日本」


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コメント

だから

「我想う故に我有り」
なんですよ( ̄ー ̄)
…この一言ってスゴイなぁ。
で、神主様の言いたい事から逸れてしまうかもしれませんが、人は自分の為もそうですが相手の事を思う事ができるので、相手の為に良かれと思う事ができたり、喜ぶ顔が見たくて何かをしてあげたりする事は人でないとできない事ではないでしょうか…
今回の震災で私が人の強いパワーを感じたのはそこです。「人って一体何なんだ!?」というのが、あんなに大変な時でも他人の為に動けるっていう事です。
それはどこかに神道の教えが染みついている私達日本人だからなのでしょうか…違うかな(^-^ゞ

2011/04/29 (Fri) 05:47 | さとみっく #- | URL | 編集

記憶喪失をしても人格はそのまま、とか、脳細胞が新陳代謝で全て入れ代わっても人格はそのまま、ということを考えると、人の「個」をそうあらしめているのはやはり「みたま」かなと思いました。いのちは「今」、「ここ」にて日々瞬々「開闢する」らしい、と、個人的に古事記を解釈してみたり。

2011/04/30 (Sat) 00:08 | ぐんじ #- | URL | 編集
さとみっくさま

えぇ。まさにそうです。哲学者はそういうことを考え続けてきていますからね。ほんとスゴイです。

たしかに大変なときに人のために動けるというのはすごいことですね。
とくに日本の場合その部分が大きいみたいですね。海外のメディアで報道されて世界から賞賛が相次いでいますものね。誇らしい部分だとおもいます。
でやっぱりそこに日本の文化みたいのが根底にあるでしょう。それって言葉をかえると神道的といえますしね。

2011/05/02 (Mon) 19:18 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ぐんじさま

「みたま」は多分そうなんでしょう。神道的に説明するならば私も多分そのようにつかうと思います。
>いのちは「今」、「ここ」にて日々瞬々「開闢する」らしい、と
これ素晴らしいです。すばらしい表現
(*^ー゜)b

2011/05/02 (Mon) 19:20 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
初コメです

こんにちは
『神道』の検索から来ました
ここ数日で過去ブログまで色々と拝見させていただいております

神主様の書かれるメッセージは
いつもほんわかしていて
世知辛い世の中を癒していただいている感じが致します

ここ一年、雨に悩まされた私としては
この回の文面がとても納得出来ました
雨が降ってきても必要以上に嫌わなくてよさそうです

神主様のあたたかなメッセージに感謝します

2011/05/28 (Sat) 09:55 | かんち #- | URL | 編集
かんちさま

書き込みいただきありがとうございます。
「神道」でここにたどり着きますか。神道について調べたいからにとっては申し訳ないブログです。すみません。
専門的なことなんかはえらい先生のところで調べてもらって、ここではもっと違うことを・・・なんて思ってやってますもんで。おゆるしを
そんなのものでよろしければ今後ともどうぞおこしくださいませ。よろしくお願いいたします。

2011/05/28 (Sat) 19:45 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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