簡素なお葬式3

昨日からの続きです。さきに前回の記事を読むと意味がわかります。

葬儀の規模を小さくしたり、費用を抑えたりすることそのものは悪いことでありません。ただ本質を見失なわないよう注意する必要があると思います。現代において葬儀は意味はかなり薄れていると思いますし、これについてはお寺や神社など葬儀を行う側の問題も大いにあると思います。
私は神主なので、お寺さんのことをとやかくいうのはアレですが、葬式仏教などといわれたりするのもそういうことですよね。

葬式仏教とは本来の仏教の在り方から大きく隔たった、葬式の際にしか必要とされない現在の日本の形骸化した仏教の姿を揶揄して表現したものである。Wikiより引用

前回から直葬のはなしをしていますが、なぜ直葬をするのか。ということなんだと思います。直葬という形そのものがいけないということではありません。
たとえば90歳の老夫婦のご主人が亡くなった。身寄りは一切なく90歳の奥様が後のことを全ておこなうという場合、自分が体力的にも精神的にも大変で、直葬という形をとった。その後は自宅で仏壇なり、祖霊舎なりでしっかり祀って供養している。こんなケースもあるでしょう。
葬儀にはそれなりの費用がかかりますし、労力もかかりますから、非常に大変なことです。

ただ、そうでないケースもたくさんあるのだろうと想像します。
葬儀をおこなって人が多数集まるとその相手をすること、準備をすること、後の対応が「わずらわしい」から。という人も。
これは完全に個人的な意見なのですが、最近のお葬式ではほとんど「お香典を辞退します」となっています。お寺のお坊さんや、神社の神主さんが亡くなったときの式でも「お香典ご辞退」、「玉串料ご辞退」というのはよくあります。
私は最近のこういうのもちょっとイヤだなと感じています。

(現状はお葬式といえば8割以上は仏式なので、仏式ではなしを進めますが、)お香典といえば故人に対しての感謝の気持ちを表したいということや、葬儀にはかなりの費用がかかりますから、残された遺族の負担を少しでも軽くしてあげられるように、皆で助け合おう。ということからそういう習慣ができているはずです。
困ったときはお互い様です。というような感覚。

そして当然皆様からお香典を頂き助けて頂いたら、葬儀など一段落したら感謝、御礼のためお返しをします。一般的には頂いた額の半額程度のお品を。しかし品を選ぶのや、ご挨拶が大変だ、邪魔臭い、わずらわしい、そういった理由でお香典を受け取らない「お香典ご辞退」がどうもいやです。
先ほどのなぜ直葬にするのか、わずらわしいからとちょっと重なります。


私はそんなことなので父の葬儀では皆様のお気持ちはありがたく頂戴しています。実はそのとき私貯金など一切していませんでした。大げさでなく1円もありませんでした。なんならマイナスくらいです。当時の私はおバカさんでしたから、会社勤めで頂いたお給料は必ずその月のうちに使い果たしていましたから。
京都人は宵越しの金は持たないと。←オイ!

だからまぁ、お恥ずかしい話し、それがなければお葬式はできなかったのですが、おかげでなんとか式をすることができました。ものすごくありがたっかった事を今でも覚えています。
それで皆様への御礼の品を考えるのも、弟や母とも相談しました。それまで私忙しくバタバタしていましたのでほとんど会話することはなかったのですが、それがきっかけで弟とよく話しました。親戚の方にもお世話になりました。
人のつながりってこういうことからなのかなぁ、とそのとき感じました。

人はこの世界に生まれてきたときからは個人として生きます。でもこの世のあらゆるもの、人間も鳥も木も魚も石も、全て一体ですから、本来そんな個人の区別ってないはずなんです。個は全体の一部であり同体ですから。
生まれる前はどうだったのか。1974年に生まれた私と、1980年に生まれた隣町に住んでいるAさんと。1950年の時点では私とAさんの区別なんてなかった。
今から100年後、2110年には二人とも死んでいることでしょう。そのときも私とAさんの区別なんてないと思います。

人間は死んでもといたところへ帰っていくんですが、それは別に生きて残っている人たちと離れ離れになってしまうということではない。そもそも私たち個人は全体の一部分なんですから。
人が死んで神になる(個人から全体にかえる)、それに接したとき、今は個人として生きている人も人同士の繋がりを感じることができたりするのかな、なんてことも思います。


とまぁそんなことで、簡素な葬儀をのぞむ人が6割を超えたというアンケート。これでは主に理由は費用がかかりすぎる、残った人に迷惑をかけたくないとの理由が多いようでしたが。
やり方を考えたらもっと費用は抑えてできると思いますし(これは葬儀業界、お寺のはなしなんでしょうが)、いずれにしても簡素でも、普通でもいいと思うので、「わずらわしい」とか「たいへんだからいやだな」なんて思わずに、それから年金をもらうために亡くなっても放置しておかず(もってのほかですが・・・)ちゃんとしてほしいなと思った今日の私でした。
ひとりごとです。


なにがちゃんとかって、
神主の立場からだと葬儀とは葬祭(そうさい)であり祭りです。祭りとは神と人が交わり一体となること。死んだら人は神になる、ビニール袋の空気がちゃんと出るように。後に残された人がそれを理解すること。祈りを通して故人と触れ合えるようになること。
それ以外でも、葬儀は人と人がつながる場でもあるので、現代社会だからこそ・・・ってとこでしょうか



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コメント

先日参列したお通夜では、お香典を受けておられました。で翌日葬儀に参列する人から電話でお香典は、受けておられたか?と私に問い合わせがあり、「ハイ、受けておられます」とお答えすると「お金に困ったはるんやろか~お香典取るなんて!」と耳を疑う様な返事が…故人を蔑ろにする発言に怒りで言い返しそうになりましたが…ホント大バカもんです!信じられません!
仲尾宮司さんが書いておられる様にお香典って互助するためでもありますよね!日本人の昔からの助け合いの美しい精神をなんと心得るか!
何でも形式を簡略化する傾向にありますが、その儀礼に昔から込められた意味を知った上で判断して欲しいものですね~

2011/01/27 (Thu) 00:02 | コテツ #- | URL | 編集

大変興味深く読ませていただきました。
ビニール袋の空気のたとえは、とても分かり易かったです。

葬式も「簡素にする」ことと「面倒くさくない」ことは別ですよね。
神主さんがおっしゃる通り、香典辞退などは方向性が違う気がします。

PTAだとか自治会だとか色々忙しかったり
失業中の主人にアレコレ家事をやらせたりしながら
ぼんやり思っていたのですが、家の中であろうと外であろうと
「面倒くさいこと」をした先にしか居場所は無い気がします。
いや、面倒くさいことは好きではありませんが…。シクシク。

2011/01/29 (Sat) 01:44 | きみこ #X10G4q5M | URL | 編集
コテツさま

最近はお香典辞退が多くなっていて、それが普通のように思われているので、そんな返事がかえってくるんでしょうね。わたしはそういう助け合いの精神というか、それは今の水臭い世の中だからこそ余計に続けたいなと思ってしまいます。
人と人のつながりのはなしですもの。

2011/01/29 (Sat) 23:12 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
きみこさま

ビニール袋はわかりやすかったですか。ありがとうございます。たしかお風呂に入っているときにふっとビニール袋でたとえるとわかりやすいかもって思いつきました。
ただ、そんなものでたとえるなと怒られるかもとも思いましたが・・・

> 葬式も「簡素にする」ことと「面倒くさくない」ことは別ですよね。
そうなんですよね。別に簡素にすることは悪くないと思います。盛大にするのがよい葬式ではないですから。
ただ面倒くさくないようにすることは、イカンと思います。
大切なことをやめちゃうと、意味がなくなることもあるでしょうし。

2011/01/29 (Sat) 23:17 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

ビニール袋から解放(?)
される時というのは、ある種の怖さがやはりともなうものなのかなぁ…と考えてみたり。

あの白い着物はヤだからいつもの寝巻きを着たままで家族葬がいいと考えておりましたが
もうちょっと考えてみようかと思いました。
遺された者のために、ですね。

2011/01/30 (Sun) 11:34 | 雅堂 #- | URL | 編集
雅堂さま

ビニール袋から解放?されるときだけのことではありませんが、人間が怖さを感じるって、自分の知らないもの、知らないこと、知らないところ、経験のないこと。
だから前が見えない暗闇に恐れを感じるし、終わりのわからない道にも怖さも感じますもの。
ビニール袋から出たらどうなるかを知らないからそう思うんですよね。

白い着物はヤでしたか(笑)その理由ならぜひもうちょっと考えてみることをおすすめいたします
(*^ー゜)b

2011/01/31 (Mon) 22:05 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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