簡素なお葬式2

昨日からの続きです。さきに前回の記事を読むと意味がわかります。

さて、神主の執り行なう葬儀とは葬祭(そうさい)といい、お葬式ですけれどお祭りです。ではお祭りとはなんぞやというと、神様を迎えて、神様と時間と場を共有して、人と神が一体となることです。祭りをとおして人は神と一体となって、神の力をわけてもらって活力を得たり、心に平安がおとずれたりします。

葬祭では神と故人と人が場を共有します。先にも言ったように人は死んだら神となってゆきます。もちろん遺影の写真の人が神だ、というのではありません。先ほど言ったように閉じていたビニール袋の口が開いて、外の空気と混じり合う。そんなイメージです。

葬祭は故人が神となることを奉告します。生前こんな人だった○○さんが亡くなったので、これよりこの世界に満ち溢れる神と一体となられます。と。
故人にも今までは個人として(別にシャレではありません)この世界で生きておられましたが、これより先は神となって、この世界そのものとなって、残った我々をおまもりください。と。

故人が神様となるなんて、これ大変なことです。中途半端にせずに、しっかりと今まで閉じていたビニール袋の口を開いて、中の空気が残らないようにしなれければいけませんから、葬儀をきちんと営みます。

また葬儀って残されたれた人のためのものでもあります。葬儀を通して個人(故人のこと。別にシャレではない)が神となっていくことを理解して受け止めること。これの意味はかなり大きいと思います。私の父の場合もそうでしたが、昨日まで普通に会話していた人が今日は死んでいる。これなかなか実感できないもんだと思います。
葬祭(神主のするお葬式の祭りのこと)もそうですし、葬儀を経て祖霊舎で故人を祀るってこと(仏教の場合はお仏壇で位牌をまつるということ)もそうですが、残された人は祈ることでその故人と通じ合うことができるようになります。
祈ることでその故人と通じ合えるというの、これも重要だと思います。


では祈りとはなんぞや。お葬式のはなしではなく、普段の神社でのはなしでみてみましょう。
祈りはお金持ちになりたいとか、イケメンの彼氏が欲しい!とか、そういうことを強くお願いすることではありません。もちろんそういうお願いを神様にすることが悪いわけではありません。神社でお願いをすることはごく当たり前のことです。
しかしそれはごくごく初期レベルです。もう少し深いレベルで祈りとはなんだと考えると、先に書いた祭りと同じです。神と心を通わせるということ。神と一体となるということ。

ビニール袋の口が少し開いた状態。ビニール袋の中の空気と、外の空気が混じり合ってビニールの中の空気が新鮮なものになる。そうしてもう一度袋の口を閉じてもとにもどる。祈りってそういうことです。


お葬式にはなしをもどしますと、式は別に盛大にしないといけないとか、費用をけちってはいけないとか、もちろんそんなことはありません。
先日の記事にコメントいただいていましたが、病院から火葬場、お墓まで直行。直葬(ちょくそう)というのもあるようで、それらも増えているようです。それらをすすめる業者さんなどの案内では、
火葬だけでも心をこめて故人を送ってあげることは十分可能です。また火葬だけとはいえ、少しくらいはゆっくりお別れをしたい場合、棺にお花を入れたり、故人の愛用品を入れたりとミニセレモニーを組み合わせることもできます。
と案内されています。

セレモニーあつかいなんですよ。
規模を小さくしたり、費用を抑えたりすることは全く悪いことではないですし、また直葬そのもが悪いとまではいいませんが、本質を見失うことのないように注意は必要です。
これについてはお寺や神社など葬儀を行う側の問題も大いにあると思います。葬式仏教なんていわれるのもそのあらわれですよね。(お寺さんのことなのにスミマセン)
私が祭主をつとめるときには、それらを大事にしますし、葬儀とはこうこうこういう事なんです、と説明するようには心がけています。

また長くなったので最後は明日へつづく・・・



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コメント

葬儀は“残された人が営む”ものだというのを改めて思いました。 故人のために行うことだけれど 故人は亡くなってもういないので
やっぱり 残された人のために
お葬式という儀式、式典はあるように思います。

神主さまがここで言われている 『本質』とは なにですか?規模の大小や予算の有無でなくて 儀式という『形式』にこだわらなくてもよいのでないでしょうか
内容の意味を各人で理解、包摂できているなら
と 儀式、式典=セレモニーについて思いました。 生前の故人の意思もある場合もあると思いますけれど 私は直葬というのは 個人的には簡素で良いなと思いますので 直葬というのは『本質を見失った』行いなのか?
本質ってなに?と思ったのですが。
ところで私は冷血人間ではないですよ(念のため)変わりものですがね(笑)

2011/01/25 (Tue) 09:59 | はんのき #- | URL | 編集
はんのきさま

わかりにくかいですかね。すみません。つづきの記事で書いていますので読んでみてください。

> 神主さまがここで言われている 『本質』とは なにですか?
ここで私のいっている本質とは神主としての発言で、葬儀とは葬祭であり、祭りであるということです。セレモニーを日本語訳したら正確になににあたるのかは私は知らないのですが、ニュアンス的には私のいう「祭り」ではないように思います。

>直葬というのは『本質を見失った』行いなのか?本質ってなに?と思ったのですが。
なぜ直葬にするかというその理由によりますよね、これ。
コメントにあるように、> やっぱり 残された人のためにお葬式という儀式、式典はあるように思います。
その一面は大いにあるので、だからこそ直葬は・・・となります。病院から火葬場へ直行ですから、そこに同行できる人はごくごく限られた人ですよね。家族以外でもぜひ送りたいという方もおられるでしょうし、残された人のためという意味では適さないと思います。

>内容の意味を各人で理解、包摂できているなら
という前提なら、なにがしかの理由があるはずなのでさほど違和感はないだろうとは思います。
あくまでも内容の意味を各人で理解しているならば、ですが。ただ書いているのはあまりそれが理解されていないのではないかということなんです。わかりにくくてすみませんね。

2011/01/25 (Tue) 22:34 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

こちらが書いたもののほうが分かりにくかったですね、 すみません。
今から書くのも分かりにくいかもですが…

私が言ったのは
神主さまが言っている、その『本質』を考えるのは 残された人、ということです。
セレモニーは 邦訳で儀式・式・ 式典とかと辞書にありましたが 神主さまが言っている“祭り”と ニュアンスが違うという話しでなくて
神主さまが言うように
『葬儀とは葬祭であり祭りであるということ 』と。 その通りなのですが その『葬祭、祭り』において その形式において“何を”しているのか 神葬祭でなくても仏式の一般的な『お葬式』でも
残された人たちはいったい“何を”しているのか、ということなんです
これが本質なのでないですか
内容の意味を各人が理解 包摂するというのは まさにこれのこと なんですけれど… この“何を”しているのかは 儀式 、祭り、というある種の形式に囚われなくても 可能なのでないか、 ということなんですよ。
意識の向上が必要です。
神主さまは神職なので祭りという 形式を当然大切にしますが
はじめからすべてであるという普遍性を各人が理解していれば(感じること、直感することができれば) 必要なことでもないのだなと、
故人は言わずもがなです。 はじめからすべてなので…

本質を考えた各人が 各々の状況によって どうするかを考えるってことかなぁと思います。
残された人にしかできないです。



2011/01/26 (Wed) 03:46 | はんのき #- | URL | 編集
はんのきさま

人間は自分が、あるいは自分の考えたことが特別だと思ってしまいます。自分の頭で思いついたこと、考えたことは特別にこだわってしまったりというのはよくあることです。
しかし過去には数え切れないほどの人が生きており、その中には自分と同じことを考えた人もいたことでしょう。
気の遠くなるような時間をかけて作られ受け継がれている儀式、習慣、風習、これらは必要なものが凝縮されて、余計なものがそぎ落とされて、本質がつまっていることも多くあります。
今はんのきさんが考えておられる事も、おそららく過去にも誰かが同じことを考えたことがあるのだと思います。
別にとらわれる必要はありませんが、逆もしかりで、すでにみがきあげられているものを否定するのももったいないはなしです。それと同じ程度のものを1から考えて作ろうとすると気の遠くなるほどの時間がかかるでしょうから。

2011/01/29 (Sat) 23:09 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

私が言っているのは
『本質』を考えるのは残された人、ということです。 各々が… 。
既に磨き上げられたものを否定する と言っているのではありませんよ、神主さま仲尾さん、
『人間は(自分)が或いは(自分が考えたこと)が
特別だと思ってしまいます』
と そのように 言わないでください。
そんなことは 微塵もなく 私は考えたこと(本質を考えるのはその人その人だということ)を言ってるだけです

自分の考えたことが特別なこと… 、そんなわけないと思います。
なぜならば
先のコメントのどこが『特別』なのですかね? ?
先人たちが既に考えたこと
そんなこと当たり前です。
私たちが言葉を所有するっていうのはそういうことです、よね。
『考え』は誰のものでもないと思います 。
誰かだけのものなら
その人以外の人は 理解することできないのでないですか?


既に磨き上げられたものを『否定する』 とは言ってません
『形式』が磨き上げられるまでに 時間がかかるのはその通りですから

精神の可能性を(希望的に)言ったのです。
否定ではなくて 変化でしょう。

2011/01/30 (Sun) 02:14 | はんのき #- | URL | 編集

コメント長いので分割しました、スミマセン。

ひとりひとりが考えること、です
その変化は 時間が かかります
そりゃあもう、きっと。
『精神が哲学を作り出すためには実際、長い時間を要する。だから、ちょっと考えると、この時間の長さには、天文学で言われる空間の大きさと同様、たしかに驚くべきものがある。けれども世界精神の悠長さに関しては、世界精神は急ぐには及ばないー「千年は汝の前には一日の如し」ーということを知らねばならない。(中略)自然は一番の近道をとって、その目標に達する、という卑近な文句があるが、これは正しい。しかし、精神の途は媒介であり、迂路である。時間、骨折、消費ーこういった有限的生命の諸規定は、ここでは意味をなさない。特殊的ないろいろの見解が今になお実現されえないこと、これやあれやがまだ実在するに至っていないことを我々は焦ってはならない。世界史においては進歩は悠長に行われるのである』(ヘーゲルの『哲学史序論』から抜粋)

を思い出しました。私を含め、 ひとりひとりが自分の普遍性や精神性を『考える』こと ですから それは 時間がかかりますよ
それくらい 『考えて』 『各々の状況を照らし合わせて』行ったなら 簡素なお

2011/01/30 (Sun) 03:14 | はんのき #- | URL | 編集

長すぎると途切れてますね!

続きは
簡素なお葬式或いはそれをしなくても別のやり方でも という“話し”です

2011/01/30 (Sun) 03:18 | はんのき #- | URL | 編集
はんのきさま

すみませんね。私の読解力と表現力が不足しているばかりに。
せっかくたくさん書いてくださってますが、コメントの内容があまり理解できていないんです。前回のも、今回のも。だから一般的なことを書いてお返事しました。

自分が、あるいは自分の考えたことが特別だと思いがち~
の部分ははんのきさんのことを言っているのではありません。一般的なはなしです。たしかブログか本で書いたのですが私自身がそうでしたから。

2011/01/31 (Mon) 22:01 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

長すぎましたからね
神主さまの言っている
“本質を見失ってはいけません”と同じこと言っているのです
先にも 書きましたが 残された人、(死んだ人は生前に) みんな “本質”がなになのかということを 一人一人考える、 ということです。
それは 変化に繋がっていくでしょう。

2011/01/31 (Mon) 22:57 | はんのき #- | URL | 編集
はんのきさま

わかりました。
本質は見失わないようにしたいものです。

2011/01/31 (Mon) 23:17 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

“本質”とは 神主さまが神主さんとして発言した 葬儀とは“葬祭、祭り”である という “本質”でなく 私が言ってるのは その“本質”の本質です(分かりにくいですが) 人が葬祭やお葬式という『形式』において “何を” やっているのか という本質を(根本から) みんな一人一人が考えるということです

2011/02/01 (Tue) 03:22 | はんのき #- | URL | 編集
はんのきさま

「祭りとは」という部分のことと同じことなんだと思います。
大切な部分です。

2011/02/02 (Wed) 21:25 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

神主さまの神主としての発言においての本質は『祭りとは』になると思います
うまく言えてないのですが 私が言いたかったのは “何をしているのか”というのは それの “何をするのか”という根本の問題を考えるということです
神主さまが言ってるように 時間がかかるのは当然なのですが

根本の謎を宗教に任せるのでなく 自分の頭で考える こと は気付きの第一歩、かなと思います考えたいです。

2011/02/03 (Thu) 15:01 | はんのき #- | URL | 編集
はんのきさま

考えることは重要です。
宗教とは数ある道のうちの一つですから。

2011/02/05 (Sat) 21:01 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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