神札3

昨日からのつづきです。昨日の記事を先によむと意味がわかりますので、おすすめします。

パワースポットの写真も同じで、写真を撮っただけではただの写真、そこにパワーが宿るにはそれにプラスアルファの何かが必要なんだと思います。

ついでにもうひとつ質問があったのでそれもついでに書いてみます。
神前での写真の撮影はたいていの神社では基本的に控えていただきます。これに絡めた質問で、
神社の神前で写真撮影を禁止するのは、作法や美的センスからなのか。あるいは撮影することで写真に写るかもしれない「何か」に影響があるからなのでしょうか?
というものでした。
この質問者様は後者、写真に写るかもしれない「何か」の影響だとお考えでした。


しかしこれは、答えはどちらかというと作法に近いと思います。畏敬の念、敬意があれば自然とそうなりますし、神前でカシャカシャと写真をとることはしないでしょう。以前はそんなことは言うまでもないことでしたが、最近ではそれを注意として言わないといけないので控えていただくと言っているだけです。
神社の境内ではないですよ、神前です。本殿や拝殿、神様の鎮まる(とされる)場所のすぐ側でのことです。
もし写真に写るかもしれない「何か」の影響が理由なのだとしたら、写真が発明される前はそのような作法というか習慣はないはずですが、実際には同様のことは写真がない時代から当然ありました。
神前に御簾(みす)がかかっているのもまさにその為ですね。

100920misu.jpg


御簾というのは神様のおられるところを直接みるのは畏れ多いので目隠しをしています。これはむかしは高貴な人も直接みるのは恐れ多いということで、御簾ごしに会話をすることもあります。時代劇の場面でも天皇、貴族等の登場するシーンでは直接姿はみえないように御簾がかかっているのを見たことがあると思います。写真でもわかるようにうっすらと向こう側がすけてみえます。


残りの質問にかんして
2.信仰心や心がけ、態度によって効果が変わるのかどうか。→ A.変わる
3.信じる心、受け入れる心がなくても効果があるのか。 → A.条件が揃えば効果ある

本来は効果という表現はおかしいのですが、まぁわかりやすいのでそのまま続けます。神札を神社からいただいて自宅で祀っていることですごく効果があったとその方は実感されているわけですが、これはどういうことかといえば、神札に込められた神様の力を自分が受け取っているということです。

これをイメージするために神札にこめられた力を電波とたとえてみます。電波を受信するためにはラジオでもそうですが周波数を合わせなければいけません。自分の信仰心や心がけ、態度、これらは周波数であり神様の力とそれが合っているかどうかということです。ぴったり周波数があえば神札に込められた力がどんどんと自分に流れ込んできますし、多少は周波数は合っているけれどちょっとズレているならラジオと同じで雑音が混じって本来の効果全てを受け取ることはできません。これが効果が変わるという理由。


次に3つ目の質問は、自分に信じる心、受け入れる心がなかったとしても、条件が揃ったときには効果はあると思います。神札からは常に神様の力が発せられているわけですから、自分にその気がなくても何かの拍子に偶然周波数があうこともあります。一瞬だけでも。
それから常に神札から発せられる力と接していれば、自分がその力の影響をうけて少し変化することもあるでしょう。香りが強いところに長くいれば、自分にもその香りが移る、移り香、残り香、のようなものでしょうか。


というような感じで、神札に関する質問への答え記事ですが、当然これが完璧な正解です、などとはいえませんし、そんなのはないと思います。これはあくまで私の思う答えです。


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コメント

ご無沙汰しております。

お久しぶりでございます。
今回のお話はすごく理解しやすい話しでした。(*^ー^*)
周波数に例えられた事でいっそうの理解が得られました。

ところで一つ質問させて頂きたいのですが、
写真に神礼ではなく、心霊写真があるのはよく聞きますが、
テレビで良くない写真だから焼き捨てるように!とか
言っていた場面を見たことがあります。
そうとう前の写真でも悪霊だとかはシツコク残っている
ものなのでしょうか?好奇心だけで質問するのも
なんですが、分かれば教えて下さい。m(_ _)m

うむぅ

久々にお邪魔して、唸りました。
神主様の連作記事で、ワタシの心に浮かんだ思いは、
場所やモノ(神札など)においてはもちろん
やっぱり、お姿が見えない神様に対して
畏怖・畏敬の念はどこにいても、誰もいなくても
持っていたいと言うことです。

2010/09/22 (Wed) 21:16 | りんだ #- | URL | 編集
プリティ・カフェ・チューリップさま

こんばんは。
心霊写真については私は専門家ではないのであまり知りませんが、少し聞いたところでは、時間とともに薄れてゆくものであるようです。それも状態によってや程度によって期間は違うらしいですが。(詳しくは知りません)
しかし、テレビでいっているのは大抵が適当なことだと思います。
そもそも写真に写ることと、(言葉をかりるなら悪霊だとかが)のりうつるのは別ですからね。写真は光景を写すだけであって、音やニオイ、温度、重さ等、はないのと同じで。

2010/09/23 (Thu) 22:02 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
りんださま

こんばんは。
うむぅ。いいことおっしゃる。
と、わたしも唸りました。
絶対にそれ畏怖畏敬の念は必要なんですよね。現代社会ではそれがなさ過ぎるので、なにかがおかしいんですね

2010/09/23 (Thu) 22:04 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

たぶん質問した方の意図とはずれて理解されているだろうことは一連の文章でわかります。
神社神道は、若干明治以降の国家神道の、作法さえ整えることができれば誰でもできるとした考えの名残があるのか、
それとも平安時代も作法自体が重要で、「何か」を感得するのはごくごく普通の感性で、その「何か」を見えたり、感じたりしたことで作法が整ってきたかのいずれかでしょう。
私は、海外での普通の人の普通の行動を見ていてそう思います。

別に日本人や神道に固有の感性ではないのです。別の言い方をすれば、そういう感性を失った日本の人は、おそらく見せ掛けの神道に染まってしまっているでしょう。

ちなみに受信できないのは、receiverとtuningに問題があるとは限りません。強烈な妨害電波というのもあります。

そういえばかなり以前に読んだか聞いたヨーロッパでの戦時中の非難の話があります。
非常に貧しい家庭の父親が戦地に赴く子供に、handkerchiefに包んだカチカチになったパンを「このパンはやっと手に入れた貴重なパンだ、本当に困って大変な時に明けて食べるとよい。しかし、本当に命がなくなるというそのときまで決して開いてはいけない。」と切実に子供に伝えました。そして、その包みを握り締めて、その包みだけを頼りに、必死になって戦地から無事に帰ってきて、たぶん父親にあった後だったと記憶していますが、その包みを開いてみて、それが木の切った欠片であることをわかったのです。その子供の感情は、faith(信仰)ではなく、親からのものにたいするbelief(信念)だったのです。
これがあるかないかで keitaiの写真の効果は違うと思います。
お守りの効用とはこういうところから発するはずで、宗教関係者はそれをfaithの問題に矮小化してしまっているのが残念には思いますが、いろいろ事情もあるでしょうし、そういう捕らえ方の癖も文化ですから、それはそれでありのままに。


2010/09/29 (Wed) 02:24 | Peter #JyN/eAqk | URL | 編集
Peterさま

その質問はメールできたのですが、最近メールでの意思の疎通はなかなかに難しいなぁと思うことが多くあります。多分質問者様の言いたいことが私に全部伝わっているかというと、半分くらいだと思います。
それでその半分の状態で答えようとしたり、返信しようとするものだからちょっとずつずれていく。
一回のずれは少しでも、それを回数を重ねるたびにズレはどんどん大きくなっていく。
というのを最近感じることが増えました。
直接対面で話すのでもなく、手紙でもなく、電話でもなく、メール。それぞれのツールのよしあしはやはりあります。

2010/09/29 (Wed) 22:03 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

清正の井戸
冷静に考えればあの井戸自体が幸運をもたらすわけではないことは、その名前の由来を考えればわかります。
もともとは清正と名前をもつ戦国時代のとても有名な武将で江戸時代のごく初期まで活躍した、あの熊本の大名の屋敷にあった井戸です。後に明治神宮の一部である、かなり精巧に計画された人工の森となった一帯の一部になったものです。

問題なのは、あの井戸があった大名家は2代で改易となっていて、その大名家にとっては降り注いできた不幸を、そのパワースポットの井戸をもっても跳ね返せなかったのです。因みにその大名家の下江戸屋敷は、その後、桜田門外で散った「日日是好日」という言葉を愛した茶人としても知られている、有名な大名家が与えられていました。これを考えてみても、
本当に幸運の井戸なのかといぶかる人がでても不思議ではないところです。

ではなぜ今回のパワースポットの動きとなったのか、これぞまさしくその一帯(=明治神宮)の「場」がなせる業であるのと、それをもともと世間に紹介して広めている人間の、その人の損得を度外視したような純粋な人間性による一種の見えない連鎖反応です。 

「場」とは作り上げて、維持していくものです。
神宮の森を作ってきた人らはとんでもない感性の高い人らです。

2010/10/14 (Thu) 17:47 | Peter #JyN/eAqk | URL | 編集
Peterさま

わたしはなぜそんなにその井戸が騒がれるのか、その経緯はくわしくしらないのですが、テレビかなにかで、芸人さん?タレントさん?が紹介したかなにかだと聞きました。
せっかくのことですから正しい方向にもっていきたいなぁと思っています。そういうものに興味をもつ、ふれる、近づくのはすばらしいと思いますから。

2010/10/17 (Sun) 21:46 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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