横文字

昨日、神社の用事を手伝ってくださる方と話しているときのこと。神社でおこなうお祭りのときに手伝いをしてくださるのですが、その方と神社の仕事の打ち合わせをしているとき、その方が
「では神社でのイベントがあるときには必ずその仕事が発生するのですか」と発言

それに対して私が
「いや、必ずその仕事は発生しますが、神社での祭事はイベントではないんですよ」

それに対してその方
「あ、そうですね。イベントって横文字を使ってはいけないですね」

私(・・・・とくにツッコミはなし)

さらにその方が
「それで、その仕事に関して、グラウンドルールがあるわけですか?」
「あ、また横文字を使ってしまいました。すみません。グラウンドルールとは、その場所での特殊な決まりごとのことです」


「いやいや、横文字を使うのがいけないんじゃないんですよ。神社のお祭りはイベントではなくって神事だということをさっきは言いたかっただけで」
しかし、今の時代に横文字を使ってはいけないとなると、会話に支障がでますね。いったい何の罰ゲームなんだろうって。すでにゲームという横文字が登場してますね。
もちろん私は実際には知りませんが、有名なところでは戦争中には実際にそうだったそうですね。野球でもストライク、ボール、アウト、これら横文字は敵国の言葉だからダメ。
ストライクは「よし」
ボールは「だめ」
アウトは「引け」
ワンストライクは「よし1本」だったそうです。なんだかちょっと面白いです。

今の時代に横文字なしで会話しろといわれるとかなり難しいでしょうね。
しかし神社だから横文字を使っちゃダメと勘違いされたのはなんとなく分かる気もします。神主が奏上する祝詞は大和詞(やまとことば)、要するにむかしむかしの言葉ですから横文字は当然ありません。むかしは横文字そのものがなかったのですからそれでもよかったのです。
でも現代社会では横文字がごく普通にあります。だから祝詞の中でも横文字が登場することもありえます。
たとえば、これはいつもお世話になるとある神社のブログで紹介されていましたが、今年の春先、皇太子殿下が親善訪問の為にガーナ共和国とケニア共和国へご出発されたときに、安全を祈願した祝詞の中で登場したそうです。
迦納(ガーナ)、肯尼亜(ケニア)


ほかにも以前の記事で書いていますが、横文字を言い換えるような場合もあります。例えば建築の祭のときに「鉄筋コンクリート」、これを祝詞の中でこのように言い換えたり・・・ 
「黒金(くろがね)の柱と、川砂と山砂を砂利と石灰に混ぜ合わせ、固く固めたる物」実際にこのように言うかどうかは別として、横文字を言い換えることもあります。


それから横文字をそのまま祝詞の中でも使うこともあります。固有名詞なんかはそのままですね。
たとえば会社名。サンライズ・エンタープライズ株式会社だったら祝詞の中でもそのまま言いますし、住所でもパークヒルズマンションA102号、これもそのまま言います。これらのときは聞いている人はちょっと祝詞の中で違和感を感じるかもしれませんね。

しかし、神社の祭りはイベントではない、ということを横文字を使ってはいけないと受けとった方もおられるのです。人の受け取り方は様々ですね。



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コメント

情報誌の編集担当者から送られてくる「行事紹介」の原稿の大半には、「今月のイベント」や「〇〇祭のメイン」なんて文言がよく目につき、中には神社の所在地を「イベント会場までのアクセス」と表現されていたり、「イベント主催者に確認してください」と補足されていたり・・・
 神社はイベント企画会社ではない!と声を大にしたい。
神輿渡御の順路を「パレードのコース」(≧д≦)
ところで今の学生に「横文字」の意味が通じません・・・・
 ちなみに明治時代は「横文字」を「カニ文字」と言ってたらしいです。
 

2010/09/10 (Fri) 01:42 | 西院 #- | URL | 編集
ありがとうございます

先日の記事の書き込みへのご返答ありがとうございます!
確かに神道が由来というよりも日本の国柄や日本人の民族性の集大成が神道なのですね!
神道は日本民族の叡智が詰まっているんだと思います。
ところで横文字の話ですが、僕もこの話には多いに関心があります。
確かどこかの市町村の役場で窓口の公的な名称を一部、英語で『なんたらかんたらセンター(よく覚えていません)』とか表記したらお年寄りどころか若者まで一体どんな窓口なのか分からなくて困っているというニュースを観たことがあります。
現在、横文字を使わないで会話すると支障をきたすように逆に無理に横文字を使おうとすると話や事柄が分かりづらくなることもあると思います。
政治や経済の会話の中で横文字を多様する政治家や経済学者はよろしくないという話を聞いたことがあります。
一般の人にも分かりやすくなおかつ、正しく美しい日本語を使いたいものです。

2010/09/10 (Fri) 04:16 | ユウタ #- | URL | 編集
はじめまして。。ではないのですが。

以前2度ほどコメントした者です。
神主さんのブログは面白いです。
時々癒されたりもしています。

祭事はイベントではない。
たしかにそうですね。でも私も間違えそうです(汗)
私は大人になるまで(と言うか最近まで)「お祭り」は屋台があるのが当たり前だと思っていましたから。。
目に見えないものを意識するというのは、難しいことです。

話が逸れてしまいました。。
これからもブログ楽しみにしています。

2010/09/12 (Sun) 21:51 | なつお #0iyVDi8M | URL | 編集
西院さま

 
あぁ、雑誌の紹介のところではそれよくありますね。あと営業時間とかかれたり。雑誌で表現を統一しているので訂正できないんです、というところもちらほら。
しかしパレードコースはすごい。ワザとでしょうか(笑)
カニ文字。それは初耳。こんどそのトリビア使います。カニ文字で表現してみました。

2010/09/13 (Mon) 21:34 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ユウタさま


横文字にすることでかえって難しい表現になっていることもおおいですね。たしかに。
10年くらいまえでしたかね。職業安定所がハローワークになったときにもそれ思いました。職業安定所ってすごく分かりやすいようにおもったのすが、なんでもかんでも横文字にすりゃいいってもんじゃないだろうに・・と
まぁ、実際のところは別の要望があって変わったのでしょうけどね。

2010/09/13 (Mon) 21:37 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
なつおさま

以前コメントくださった方ですね。どうもありがとございます。
お祭は屋台があって、りんごあめ、わたがし、やきそば、これをブラブラするのがお祭だ。っと思っている大人の人もおおいですよ。
以前、30代の人に、近くでお祭りやっているけど行かないのか?と聞いたら
「私はもう大人だからお祭は行かないね」
という答えが返ってきたことがあります。お祭りは屋台でたこやき、カキ氷、チョコバナナ、だと思っていたようです(笑)
またどうぞおこしください。

2010/09/13 (Mon) 21:41 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

横文字を多用する人、うちの会社にもいます。説明しなくてもみんなわかってるよねってな感じで、どちらが常識でどちらが非常識なのか。
横文字だからこそ伝わるコトバと本来のことばでないと伝わらないことあると思います。大事なのは伝えることでしょうか。

2010/09/16 (Thu) 13:18 | るる #- | URL | 編集
るるさま

日本語として定着している横文字もありますね。
中国では横文字がないので全て漢字で置き換えて表現するからそういう意味で難しいのだろうなと思います。

2010/09/18 (Sat) 18:04 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

かの「自国」語潔癖症候群にかかっていると診断されたフランス共和国には、私の記憶が正しければ2つほど、外国語をフランス語に混ぜて使ってはいけないという法律が成立していたはずです。しかし、そんなことは無関係にどんどん流入します。それでうやむやの状態。

横文字語というのは、なぜ成立し、使われるかというのをもう少し冷静に考えることをされてもほうがいいはずです。

いくつかの要因があるでしょうが、家電の新製品と似ているのです。携帯電話自体が発売された使用されているのと同じです。それ以前の文化なら「携帯電話や自動車、インターネットなどなくても平気というより、システムとして存在していない」のです。石油がまだ手に入らないシステムの時代には石油で動く自動車の発明なんて想像だにしていないでしょう。 言葉を単に言い換え程度と認識している人は、
別に世の中から日本語が完全になくなっても困らないはずです。英語にもどんどん外来語が入ってきています。同じものを指差して、世代によっても呼び方が違います。
文化や伝統や言語って、「癖」の総体のようなもので、「ゆがみ」の塊のようなものです。その独自の「癖」や「ゆがみ」を、そのまた独自の「ゆがみ」や「癖」を持った人が、別の「癖」や「ゆがみ」を批判の対象にしたり、ケシカランと言ったり、間違っているといったりしているだけのことです。そんなことにとやかくいう神がいれば、それは「癖」や「ゆがみ」をもった存在ということです。

ヤマト言葉といわれるものがどれだけ、その当時の外来語である、隣国の縦文字言葉の影響を受けているか厳密には分からないのです。
すでに美しい日本語というのが、その当時からの外来語にかなり染まっているのです。
横文字語は必然性があると考えたり、思ったり、感じたりした人が使い出しただけで、その人らは、そうでない人らとは、文化が違うのです。「癖」や「ゆがみ」が違うのです。

2010/09/29 (Wed) 11:50 | Peter #JyN/eAqk | URL | 編集
Peterさま

言葉に関しては、以前にも記事で何度か書いていますが、わたしは言葉は生き物だと思っていますから、その時代時代で生きた言葉というものがあるのは当然ですね。

>別の「癖」や「ゆがみ」を批判の対象にしたり、ケシカランと言ったり、間違っているといったりしているだけのことです。そんなことにとやかくいう神がいれば、それは「癖」や「ゆがみ」をもった存在ということです。
神の域(神様自体、神のレベル?なんと表現すればいいか迷いますが)ではそんなことにとやかくいうなんてことはありえまえせんね。それはそれをとらえる人間のはなしですから。
そもそも神はとことんまで突き詰めていくと、どんな宗教であっても同じところにいきつくはずだと思います。

2010/10/01 (Fri) 21:14 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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