正しいことは

たしか1ヶ月ほど前の新聞に載っていた記事をよんでいてふと思ったこと。
そのときの記事の内容は忘れましたが、部分的に覚えています。

「1人殺せば5人が助かる状況だったら、君ならその1人を殺すか」
「君の行いは正しいのか、正しくないのか」


詳しくは書かれていませんでしたが、NHKの番組でやっていた時期と重なるので多分これ政治哲学者のマイケル・サンデル教授の設問で、

君は路面電車の運転手で、時速100kmの猛スピードで走っている。
君は行く手に5人の労働者がいることに気付いて、電車を止めようとするが、ブレーキが効かない。
君は絶望する。このまま進んで5人の労働者に突っ込めば、5人とも死んでしまうからだ。
ここでは、それは確実なことだと仮定しよう。君は、何もできないと諦めかける。
が、その時、脇にそれる線路、『待避線』があることに気づく。しかしそこにも、働いている人が一人いる。 ブレーキは効かないがハンドルは効くので、ハンドルを切ってわきの線路に入れば、1人は殺してしまうけれども、5人は助けることができる。
ここで最初の質問だ。 正しい行いはどちらか?

これのことなんだと思います。
ほかにも以前からあるものに
トロッコが線路に沿って走っている最中、制御が利かなくなった。このままでは線路の上に立っている5人がトロッコに轢き殺されてしまう。
あなたははトロッコの線路を変えることができるレバーの前にいる。トロッコを別路線に引き込めば、5人は確実に助かる。しかし別路線に引き込むと、そこに立っている別の1人がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。トロッコを別路線に引き込むべきか?


さらにそれに派生として、
あなたは線路の上にある橋に立っており、あなたの横には太った人がいる。その人を橋からつき落としてトロッコにぶつければ、トロッコが止まり、5人は確実に助かる。しかしその太った人は、トロッコにぶつかった衝撃で確実に死ぬ。
(あなた自身が飛び降りても痩せているので重量が足りない、太った人でないとトロッコは止まらないと仮定)太った人をつき落とすべきか?



似たようなものには、サバイバル・ロッタリー(「臓器くじ」)というものもあります。

国の制度とてい以下の制度をつくるとする。
1、公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺す。
2、その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配る。
臓器くじによって、くじに当たった一人は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。このような行為が倫理的に許されるだろうか、という問いかけである。
「人を殺してそれより多くの人を助けるのはよいことだろうか?」というもの。



このようにいろいろなパターンがありますが、教授の場合いいたいことは私たちの道徳的な根拠は、多くの場合矛盾しており、 何が正しくて、何が間違っているのかという問題は必ずしもはっきりと白黒つけられるものではないということ。

このブログでもよく書いていますが、日本の場合は昔からこういうのは、ごく当たり前なこととしてみなが感じていました。白でもあり黒でもるんです。西洋、東洋の神様のことを考えてみてもそれは表れています。天上に絶対唯一の完璧な神様がいてその神様は絶対的な正義である。構図は正義か悪か、神か悪魔か。
日本の場合はそうではありません。神様は必ずしも絶対的な正義、絶対的な存在ではなく、神様にも表も裏もあります。また悪さをするのはすべて悪魔というわけではなく、(人の立場からすると)祟りや災いをおこすのもまた神である。
正義も悪もこれ一体のものであって、立場や見る方向が違えばそれはどちらにでもなるんですね。もちろん立場や時代、見る方向がかわっても変わることのないものも存在します、それは真理ですね。

今回はあまり私の考えは書かないようにしておきます。


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コメント

お久しぶりです。

ご無沙汰してました。
久々の書き込みです!

善悪の判別…ん~日本は特にそういうのありますよね。正義と悪をはっきり線引きしないというか、曖昧なところがまた良さでもありますよね。
日本人のおおらかさ、国柄ですね。
特に古来からの神道の考えに由来するのかも。

西洋じゃそうはいきませんよね。唯一無二の神が絶対でゴッドの教えに逆らう者は悪ですからね。
英語の文章でGodの単語が出てきても絶対に最初のGは大文字で綴るっていう話を昔聞いたことがあります(正確な話なのかは分かりませんが)。
そういうところにもキリスト教の宗教観念、善悪の考え方が滲み出てるように思えます。
我が国の場合は宮司さまの記事にもあるように良い行いをする神様も災いをもたらす神様もいる。また、良い行いをする神様も時には人間や他の神様に災いをもたらしたり、失敗したり悩んだりもする。なんか人間臭いところがあります。
時と場合によって善悪の解釈をはっきりさせないおおらかさが日本という国が続いてこれた一つの要因かもしれませんね。

そういえば記事にあるNHKの番組何回か観てました。難しいけど面白いですよね。

2010/09/08 (Wed) 06:26 | ユウタ #- | URL | 編集

とてもとても答えなんて出せません。
考えていると恐ろしささえ覚えました。

それだけ今、自身の環境が平安に満たされている証なのでしょうか(>_<)

2010/09/08 (Wed) 19:29 | ほの香 #- | URL | 編集

制御が効かなくなった電車などの話はともかく
太った他人を犠牲にするとか
健康な他人を犠牲にするとか
そのへんの設問は、文化の違いを感じます。
思い切ったことを言えば
「原爆投下で多数の人命を救ってやった」的な傲慢さを
私は感じるのです。

ただ…制御が効かない電車の話は本当に難しいですね…。
どちらを選んでも結局後悔すると思うので
何事もメンテナンスはしっかりし、
無闇やたらと線路の上には立たないようにしようと思います!
・・・という思考停止・・・。

2010/09/08 (Wed) 21:17 | きみこ #X10G4q5M | URL | 編集
ユウタさま

どうもお久しぶりです。お元気にされてましたか。
日本的というか、日本のいいところとでもいうか、そしてこれからの世界で必ず必要となるものですね。
> 特に古来からの神道の考えに由来するのかも。
これは私は逆だと思っています。神道が日本での古来の考え方、習慣などの集大成のようなものだ。だから神道が日本の国柄というか、国民性というかそれらとぴったりというのは当然なんですよね。

NHKでやっていた番組ご覧になりましたか。私は見てないんです、新聞の記事で読んだだけで

2010/09/09 (Thu) 23:30 | 神主 #- | URL | 編集
ほの香さま

まぁこれは、教授さんが学生に答えを導きださせるために出しているものですから。
もし現実にこういう場面となったら、おっしゃるように大半の人は動けないのではないかと思いますね。
しかし自分の行動が正しいのかどうか、本当のただしいこととは、そういうことは今結構求められているような気がします。

2010/09/09 (Thu) 23:33 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
きみこさま

たしかに文化の違い、思考パターンの違いは感じますね。
これも同じことですが、私たちにとって当たり前のことが、別の国の人にとっては当たり前でない、あるいは非常識だったりしますから、それをわかっていないといけませんよね。

> 何事もメンテナンスはしっかりし、
> 無闇やたらと線路の上には立たないようにしようと思います!
すばらしい。この問いからそういう答えが導きだされるとは。教授もさぞ満足されると思いますよ。

2010/09/09 (Thu) 23:36 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

西洋では、、、。東洋では、、、。こういうのはnational identityを喚起したい人らが良く使う教科書的な知識。
実際に日本人以外の「生きた人間」と海外で普通に接触すると、そういう考えどころか極端な人や、日本人よりも「日本人的に」民族的な志向性すらない人らもいますよ。
こう書くと、「あなたのは少数派で、アメリカのニュースでも、、、。」だからnational identityを喚起したい人らは世界中にどこでもいて、それが紛争の基だということをわかりながら、自分らの国益を考慮に入れると、別の国益が損なわれるということを常日頃考えて抜いているんです。

いろんな人がいて、いろんな家族があって、いろんな集団があって、文化が形成されます。文化って癖なんです。

彼の考えをすべて知っているわけではないですし、私が今回書いたことは彼の考えには影響されてはいませんが、日本人も大前研一程度は読んだほうがいいですよ。

2010/09/25 (Sat) 12:23 | Peter #JyN/eAqk | URL | 編集
Peterさま

各国、地域には本当に様々な考え方、習慣、伝統があってそれが民族性、国民性であり文化であると思います。
西洋では、、、。東洋では、、、。何のことをおっしゃているのかな?と思っていたのですが、よくみたら自分の書いた本文に「西洋では東洋では」という箇所がありましたね。今までのブログ記事を読んでくださっているので、わかって頂けているとは思いますが、東洋のがよくて、西洋のはダメといっているわけではありませんので・・・念のため。
これが文化なんですよね。宗教に神という絶対的な存在があることで人々のはどめというか、規律のようなものが個人のなかにあるので、個人主義?が正しく機能するのでしょう。個人の権利や自由、義務、よく聞く言葉ですが自己責任とか。
私が思うに日本の場合はそれがない。根底が違う(今までは違った)ので西洋近代社会的なそれらは、日本ではそのままではうまく機能せずに、少しおかしなことになるのだと思っています。実際現代の日本には利己主義が横行していますから。

2010/09/29 (Wed) 20:45 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

Michael Sandelの授業の内容を表面的に納得せずに自分の頭で追求して理解する訓練を続ければ、文化や伝統という「癖」や「ゆがみ」をさらに見抜けることに近づきます。私が書いているのは西洋や東洋のどちらが正しいということではなく、そういう、東洋や西洋という分けて見る「見方」自体が、西洋的だと書いているつもりです。見せ掛けの現象に囚われて、かつ、各自の立場を強調したり、自己弁護したり、客観的に見れない場合にそういう見方や表現が一人歩きをするのです。
相違、同異の区別判断にもやや共通する話です。
どこや何に基準や軸を持つかというのを冷静に見つめなおす訓練を日本人に限らず、
他者と接する人はしたほうがよいと思います。

2010/09/29 (Wed) 22:54 | Peter #JyN/eAqk | URL | 編集
Peterさま

>私が書いているのは西洋や東洋のどちらが正しいということではなく~
えぇ、もちろん。理解しています。

私の書き方が下手なのかなぁ・・・。私が言いたいことも、西洋や東洋のどちらが正しいか、なんていうことではないですからね。と自分の書いたことの補足をしたつもりだったのですが・・・
これが母国語の違いの障壁なんでしょうかね(泣
上の別のコメントでも書いていますが、私たちにとって当たり前のことが、別の国の人にとっては当たり前でない、あるいは非常識だったりします。現象として違いはあるのは事実です。西洋や東洋もそうですし、東洋のなかでも日本、中国、韓国、インド・・・違いだらけです。それが文化ですから。
その違いをこれとこれは違う、と分けて考えるのではなく(peterさまの言葉を借りるなら)結局それを理解することが必要なんだとおもっています。

2010/10/01 (Fri) 21:38 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

言語の(英語や日本語といった)表層的相違ではなく、認識や把握の問題で、神主さんの書き方の問題ではないのです。
同一時代の著しい方言差がない日本語を話す、日本語を母語とする人同士でもことばに由来する誤解や行き違いがあるのは、文化の違いという表現もできるのです。
もし、
中国人は同じ中華文化、インド人は同じ文化をもっていると思っている、考えている人、あるいはそう考えたい人は、
中国人、インド人、韓国人は別の(人種ではなく)人類なのかと考えてみてはどうかと、「考えること」の問題提起をしているのです。
大体どの国の外交官もいうようです。「最後は同じ人間同士」だと。この文章の意味することを考えるという作業の重要性を書いているつもりです。
美しい日本語などというのは幻想、妄想であるのと同時に、
そう認識する人には、何らかの「型」が意識のどこかにあるのです。それゆえにそう理解したい人らにはその限りにおいて真実なのです。それをさらに追求して判断の根拠となっているものを考え抜き、それを検証するという作業の重要さが、自分の「文化」という「癖」や「ゆがみ」や「ひずみ」を見つめるという作業でもあるのです。
そう考えていくと、違いを違いとして理解するというではなく、「文化の相違」と呼んでいることの中に同じものを見つめるという作業が日本の伝統性を重要視する人、大切にする人には持つべき視点の一つとなるなのではないかと問題提起しているのです。 

2010/10/02 (Sat) 01:57 | Peter #JyN/eAqk | URL | 編集
Peterさま

一連のコメントを何度も読み返してみていますが、Peterさんのおっしゃっていることはこのブログでいつも私がいっていることと、言葉や表現のしかたが違いますが本質は同じだと思います。(神様のはなしをするときにいつもでてきます)
問題提起はこれをよむひとが何かを感じれば素晴らしいことですし、わたしも改めて意識してみようと思います。どうもありがとうございます。

2010/10/06 (Wed) 17:32 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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