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↑の記事でも書いていますように日本語の美しさは繊細さと、表現の多彩さです。他国の言語と比べても表現の多彩さは群を抜いていると思います。(他国の言語のことを詳しく知らないので断言できませんが・・)
わずかに言葉を変えるだけで雰囲気がガラッとかわることもあります。
「幼な吾子 はじめてプールに入りた夜 大の字になり 安らかにねる」
「幼な吾子 はじめてプールに入りた夜 大の字になり 寝息たており」
これは父がつくっていた歌です。この幼な吾が子とは私のことなんですが・・で上の歌が最初につくられたもの、下のほうが歌の先生が少し手直ししたもの。確かにずいぶんと違う感じをうけます。下の歌のほうが男の子が元気に遊びまわって、疲れて寝ている。なんなら布団をけとばしてお腹を出している姿まで想像できそうです。
それは自分と相手の立場、親しみの度合い、人間関係、などなどそれらによって微妙に、ニュアンスの違いが表されます。
たとえば、尊敬語、謙譲語、丁寧語、美化語、などこれらは国民性の表れでもあると思います。相手を敬い立てる、自分がへりくだる、上品にみえるように、など細かく、また微妙なニュアンスの違いも表現します。
今日仕事で京都に行った
今日仕事で京都に行きました
今日仕事で京都に参りました
相手によってどの表現を使うのかが変わりますが、これを他国の言葉に翻訳するときに、使い分けることができるのかどうか。私が他国語を知らないのでわかりませんが、おそらく難しいのではないかと思います。
もちろん実際に会話するなかではこれらの違いはどの言語でも表現されると思います、それを文字、文語で使い分けるのが日本語の深さだと思っています。
過去記事でもかいたように日本語は文語の、文字の言語であると。
その日本語ですが、ここ数年で劇的に変わっているようにいわれています。
もちろん言葉は生き物ですので変わっていくのは当たり前ですし、悪いことではありません。ただ、せっかく日本語がもっている奥深さ、表現の多彩さが急速に失われているようです。
同じ言葉で全部すませてしまうとか。
ワンフレーズですべて表現されるとか。
これらは世の中のマニュアル化がひとつの要因かなと思います(別段深く考えてはいません、思いつきです)。とりあえずマニュアルを探して、それの通りに行うという習慣がついた人が多いのだと。これは若い世代だけにかぎったことではなく、年配層も同じだと思います。ニュースで謝罪会見の様子が流れるのをみると皆同じことを言い、同じことをして謝罪されますしね。
ワンフレーズ化は携帯電話の影響でしょう。携帯で読む小説や、携帯でネットに接続することが劇的に増えているため、携帯の画面内で収まるような表現、書き方が工夫されているということでしょう。
これはこれでひとつの進化ではあると思いますが、こればかりだとせっかくの日本語のよさが失われて、それが進むと日本のよさそのものが失われていくと思います。
何のだったか忘れましたが調査の結果によると読書をしない人にこういった言葉の極端な変化がみられるそうです。その調査によるとこれは日本語の乱れであり、けしからんことだとなっていました。私は言葉が変わっていくのは当然なので、日本語の乱れであり、けしからんことだ。とまでは思いません。
しかし日本語のもつ奥深さ、多彩さ、これは日本の文化そのものです。日本には日本のよさがあり他国には他国のよさがありますから、日本のよさを残して進化をさせていかないといけません。
というわけですから、その調査結果が正しいなら読書をすることで日本語の美しさがまもられるということですので、ぜひ読書をおすすめします。
・・・といっている私自身が美しい日本語を使えているかというと、できていませんし、読書もしているかというとあまりしていません。
またこのブログはいつもわりと長文ですから、このブログを普段から見てくださっている方はたぶん元々読書が好きな方が多いとおもいます。ですから今回の主張はあまり意味のないものなんですけどね(=^_^;=)ゞ
書いているうちにこういう方向にいったのでそのまましめておきますm(_ _)m
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