わたしの顔3

昨日からのつづきです。
顔はその人の心の状態、人柄を如実に語ります。私もそれをよく言われてきました。昨日の記事で書いたように会社勤めをしていたときの顔と、今の神主としての顔は別人らしいです。まわりの人にいわせると・・・


それからもっと前のはなしになりますが、私が学生だったころ。これは過去に「神主の身の上ばなし」シリーズでも紹介していますが・・
私は神主の子(神社の跡継ぎの子)として生まれています。昔はそれがコンプレックスになっていました。家が神社であるというのは普通の家庭と明らかにちがいますからね。

小学生の頃は他の人との違いはあまりわかりませんでした。それが普通だと思っていましたので。
中学生くらいになって回りにいろんな人が増えて「アレ?」なんだか家は他と違うのか?と気がつきました。←遅いなオイ(笑)

その頃からソレが(家が神社であること)他の人と違うということが恥かしく感じてコンプレックスになっていました。人に知られたくない、目立つと人に知られる、目立たないように、人の波に埋もれているように・・・というような心の状態になっていたと思います。

その頃の私の顔はそういう心の状態がすごく出ているように思います。写真でもいつもパッとしない顔をしています。
当時は「自分の顔がもっとこうだったら女の子にモテるんだろうなぁ」とよく思っていました(汗
思春期ですから(=^_^;=)ゞ 


高校生になってもコンプレックスは残ったままで、ちょっと心は屈折したまま残っていたので少し曲がった方向へ進んでいたようです(=^_^;=)ゞ 
相変わらず「自分の顔がもっとこうだったら女の子にモテるんだろうなぁ」とよく思っていました(汗
思春期ですから(=^_^;=)ゞ 
転機が訪れたのは神主養成所虎の穴(仮名)に入ったときです。
詳しい話はシリーズを読んでもらえればわかりますが、何が転機だったかというと、神主養成所虎の穴(仮名)には全国から神社の子供が多く集まっています。自分と同じ立場のものがたくさん集まっているその場に入ることで吹っ切れました。

過去記事神主の身の上ばなし7より
自分は神主の親に育てられたということを思い出し、神の側で神に護られて大きくなったということに気がついた
これは私にとって衝撃的なことでした。
アイデンティティ(セルフ・アイデンティティ)の確立とでもいえるかもしれません。

自己同一性(じこどういつせい、セルフ・アイデンティティ)とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念である。Wikiより


そこからです。私のコンプレックスが消えました。すると自分の顔が好きになりました。すると割りと人から好かれるようになりました(男女問わず)。もちろん嫌らわれている人もいるでしょうが・・



私は神主です。
神主が神社の顔になることはありません。そりゃそうです神社は神様を祀るところです。その顔が神主なわけはありません。
でもこのブログは神社のブログという位置づけではありませんので、このブログの顔ではあるべきだと思っています。


長くなってきたので最後もう一回だけ次回へつづく


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コメント

まぁ!

しばらくぶりにこちらにお邪魔しましたら…神主さまの写真がいっぱいではありませんか!!

神主さまのお顔、好きですよ(^-^)

2009/05/24 (Sun) 19:31 | なたり~ #- | URL | 編集
なたり~さま

(。-_-。)ポッ
ありがとうございます。なんだか照れてしまいます。

2009/05/25 (Mon) 22:01 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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