ブタがいた教室

監督前田哲、主演妻夫木聡。今秋公開の映画「ブタがいた教室
http://www.butaita.jp/
080921index_r1_c1.jpg
080921index_r5_c4.jpg


1990年からの大阪の小学校で実際に行われた教育のおはなし。
小学校のクラスでブタを飼育してブタが大きくなったら実際に食べるというもの。1年たったら食べると決めてブタを飼い始める。ブタは「Pちゃん」と名付けられて次第にクラスのペットとして飼われるようになる。そして1年が過ぎ、計画ではブタを食べる時がきたのだが・・・


1993年にドキュメンタリー番組としてテレビで放映されていましたので広く知られているはなしですが、テレビで放送されたときにもいろいろな賞を受賞していましたがそれが映画化されることになったようです。
テレビで放送されたときにも視聴者からの反応は
「残酷だ」、「それは教育ではない」という否定、批判的なもの
「命を教える素晴らしい授業」という意見に分かれて話題となりました。
今回の映画監督も素晴らしい授業だと感動された1人のようです。


続きを読む前に↓クリックしてくださると嬉しいですm(_ _)m
http://blog.with2.net/link.php?425436
http://blogranking.fc2.com/in.php?id=147548

これをおこなった黒田恭史先生(現・佛教大学教員)は当時新任の教師だったようですが、こういう思い切ったことを行うには強い想い情熱が必要だったことでしょう。それに学校が理解を示して許可を出したのも勇気がいる決断だったと思います。
現在では周りからの圧力や、とりあえず言っとけ的な言葉、いろいろな邪魔があってこんなことできないのではないでしょうか。

私は素晴らしい教育で、これほど大切な授業はめったにないと断言します。日本全国の学校で実施したらいいとさえ思います。
動物が自分の命を保つためには必ず食物を食べます。他の生き物の命を奪います。「それは残酷だ」という人も必ず他の生き物の命を奪って自分の命を保っています。
「生きる」ということはそういう事です。
だからこそ今生きている自分の命に感謝して、他の命に感謝しなければいけないのです。

スーパーでパックに入ったブタ肉を買って食べるのは残酷ではない。
子供のなかにはスーパーで売っているブタ肉が最初からああいうものだと思っている子もいるのではないでしょうか。もともとは生きている豚だったということを知らない。
飼い犬を金づちで叩いて、犬が死んでしまうと「壊れたから修理して」と親に言った子供、死んだ虫の「電池を交換して」と言った子供がいたとか、ニュースで見ることがあります。

以前にも書いていますが子供のあいだに命にふれておくことは大きな意味をもちます。
私もそうでしたが子供のころに遊びで、捕まえたセミの羽をちぎってたり、カエルに爆竹を詰め込んで破裂させたりしました。
残酷なのですが、そうやって命というものはどういうものかを覚えていくのだと思います。
「いのちは大切ですよ」といくら口で言われるよりも格段に・・・


飽食の時代などと言われ食べ残される、どんどん廃棄される食べ物。それが本当に残酷だと思うのですがどうでしょう。
神社では神に肉、魚をそのまま供えることもよくあります。古式をそのまま残すところでは例えば鹿の頭をそのまま供えるとか、現代人がみると残酷に見えるのかもしれませんが、なぜ鹿の頭を供えているのか。恵みを頂けること、自分達が食することができることを感謝するためです。これが大切なんだと思います。
自分の命を維持するために他の命を食べます。自分の命はたくさんの命によって成り立っていることを忘れないようにしないといけません。

食前にいただきます
「たなつもの ももの木草を 天照らす 日の大神の恵み得てこそ」
(たなつもの もものきぐさも あまてらす、ひのおおかみの めぐみえてこそ)

食後にごちそうさま
「朝夕に もの食ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」
(あさゆに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)



最後までお読みくださった方はクリックしてくださると嬉しいですm(_ _)m 更新の励みになります。
人気ランキングへ1票入れる
 a_01.gif FC2ランキングへ1票入れる


昨日はFC2は6位。人気ブログ16位。⇒→ 今日のランキング順位
目の錯覚 | Home | 覚書

コメント

テレビでも昔観ましたが、最近劇場で予告やチラシをよく見ました。子供のセリフはアドリヴだそうですね。

ぜひ観に行こうと思ってますが、こういう作品は親子で観に行って欲しいもんです。すぐに残酷だ、とか騒ぐ親達には特に!!
親子割引とか、学校割引とかしたらいいのに、と思います。

2008/09/21 (Sun) 23:24 | kasparek #- | URL | 編集
大事な教育だと思います

命の尊厳を教えるとても良い題材だと思います。
実際に奨励して「やれ!」と言える代物ではありませんが。
殆どの生物は、自分以外の生物を糧として生きてゆくしかありません。人間も例外ではありません。
だから、糧となった生き物に感謝をして、余すことなく大切にいただくのです。
机の上の勉強だけではわからないことはたくさんあります。刃物で人を切りつけたら痛いと教えても、実体験が無ければやはりわからないのでしょう。でも危険という理由だけで鉛筆を小刀で削るのを見かけることはなくなりました。刃物の使い方がわからなくなっているのですよね。
「ブタがいた教室」見てみたいと思います。

2008/09/22 (Mon) 12:28 | 木霊 #a0J2.lfM | URL | 編集
私も小さい頃

飼っていたひよこが大きくなって、いよいよ育てられなくなり、母が私に内緒でかしわ屋さんに、つがいの鶏をつぶしてもらいました。母は私に「お肉屋さんが、かわいそうやし飼ってあげるて言わはった。その代わりにこのお肉もらってきた。」と言っていたので、全く知らずにその日水炊きにして食べたのです。
後日本当のことを知り、大変ショックを受けたのですが、その時母が、「かわいそうやと思う気持はようわかるえ。そやけど、この命をいただいて、あんたは生きてるのえ。食べてるものはみんなそう。いのちを粗末にせず、感謝してすべていただきなさい。」と慰めてくれた言葉は、今も私の心に刻まれています。
いのちの大切さを学ぶのは自分が傷ついたりすることがあったりして大変難しいものだと思います。だけど、間違いなく必要なことだと思いますね。

2008/09/22 (Mon) 14:50 | nashitsubo #- | URL | 編集
kasparekさま

こんばんは。
結末を知らせないで子供の脚本セリフ部分が白紙だったとか。
ホントに親子で見て欲しいですね。子供は親の鏡ですからね。親をみて子供は育っていますから、親がしっかり学んで、しかりした考えかたを持たないと子供に伝わるはずがないです。

2008/09/22 (Mon) 22:30 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

ちょくちょく拝見させていただいてます。
応援ポチッ!!!

2008/09/22 (Mon) 22:30 | サトシ #- | URL | 編集
木霊さま

こんばんは。
体験がないから命というものがわからないのでしょうね。
机の上だけでは学べないもの、知識だけでは用をなさないものありますもの。刃物もそうですね、1回の実体験は100回聞くよりも理解できるのだと。
子供のころに神社に触れるということもそういうことなんだと思います。

2008/09/22 (Mon) 22:35 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
nashitsuboさま

こんばんは。
そういうことを教えてくださった、また教え方も、素晴らしいお母様ですね。ルーツ探しのことでも登場されますが素敵な方だなと思います。
おっしゃる通りです。いのちを学ぶことは絶対に必要です。本来は(今までは)自然と身につくべきことだったのでしょうけれどねぇ。

2008/09/22 (Mon) 22:42 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
サトシさま

はい。ありがとうございます。

2008/09/22 (Mon) 22:48 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
残酷だと気付いたらやめるべきです。

神主様でさえ、そんな哀しい事をおっしゃるのですね。
世界中に菜食者がいる事は御存知かと思います。
もし私が肉を口にするなら、泣きながら死肉に向かって
謝罪する事でしょう。
誰かを苦しめながら「有難う」とは云えないはずです。
「ごめんなさい」その一言に尽きるのではないでしょうか。

全ての命が平等で尊いものだとお気づきになれば、
「感謝して」という言葉は出てこなくなるでしょう。
http://fairyteatime.blog.fc2.com/blog-entry-70.html

v-22 菜食のススメ
http://saisyoku.com/index.html

2012/10/20 (Sat) 17:42 | ヒナ #JalddpaA | URL | 編集
ヒナさま

書き込みいただきありがとうございます。
ちょうど今日更新した記事が「食」についてだったので、コメントのタイミングにおどろきました。

そんな哀しい事とは何のことをおっしゃっているのかわかりませんが、
基本的な大切な部分は違わないはずだと思います。

お肉や魚も、お米や野菜にしても、その命を絶つという現象においては同じですから、食べることへ感謝することはなくなることはないし、また感謝がなくなってはいけないと私は思います。

すべての動物は他の生命を絶ち、それを食べることでしか生きることはできません。菜食するときには野菜への感謝がありますが、まあ別にそれが感謝でなく謝罪でも悪いわけではないとは思います。
泣きながら野菜に向かって謝罪して、その野菜を食べるのか、
野菜をいただき、命を継ぐくことができることに感謝して食べるのか、
その違いだけではないでしょうか。

問題にしなければいけないのは、現代人、特にアメリカや、日本も含む先進国といわれる国で、食に対する考え方が、商業的になっていることだと思います。
食・命を商材とみなしてしまうと、効率のためにとか、値段のためにとかで、それこそ命に対する謝罪が必要になるような行為になるのでしょう。これは業者も消費者もどちらにもいえるのでしょう。


ブタを食べるために飼育する教育に関しては
自分以外の命を大切にするということを真剣に考えるための経験であり、それらは経験で身につけるに勝るものはないと思います。また実際に食べるかどうかは子供たちが話しあって考え、最終的には食べないという結論でもいいでしょう。
それらの経験によりそれまで毎日自分たちが何気なく食べていた­もののことを、
「自分以外の命」と認識できるようになるのだと思います。

2012/10/20 (Sat) 22:23 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

> そんな哀しい事とは何のことをおっしゃっているのかわかりませんが、
> 基本的な大切な部分は違わないはずだと思います。

リンク先の内容を貼らせていただきます。

「感謝しているから殺していいんだ」「動物も植物も同じ」
と非菜­食主義は言います。
まさに「美味しく」食べたいが為に自己の言い­訳を考え自らを正当化しています。
ここまで論理、倫理が欠けてい­る言い訳に私は驚きを隠せません。

本当に感謝する気持ちがある人は殺さない選択を選びます。
殺され­る動物にとっては感謝されても何も意味はありません。
殺される時­に感謝されて納得する人はこの世にいません。

菜食主義者は非菜食­主義者に比べ植物の命も大切にします。
まず間違いなく非食主義者­よりも植物の命に対しても尊重しているでしょう。
菜食主義者は食­について植物に関しても必要最低限の摂取をしていきます。

その上­で動物は食べる為に殺さなくても自身は生きれます。
だから必要外­は食べません。
殺しません。

必要最低限の摂取とは自己が生きると­いう前提の中で、
他の命に対しての悪影響を最少限度にすることで­す。

つまり自分以外の命を大切にするということを真剣に考えています­。

少し失礼な言い方ですが、
非菜食主義者は必要最低限の摂取、殺生­をしていません。

本当に自分以外の命について考える心がある人は、
最低限、悪くな­い選択をして生きます。

 ・゜・*:.。.*.。.:*・

> 例えば鹿の頭をそのまま供えるとか、
> 現代人がみると残酷に見えるのかもしれませんが、
> なぜ鹿の頭を供えているのか。恵みを頂けること、
> 自分達が食することができることを感謝するためです。
> これが大切なんだと思います。

このような解釈をされるのが神主様ならば、
一般人のほうが慈悲深いという事ですね。
良く解りました。

2012/10/22 (Mon) 15:23 | ヒナ #JalddpaA | URL | 編集
ヒナさま

> リンク先の内容を貼らせていただきます。
今回のこれは可としますが、コメント欄にブログの内容を貼り付ける事はお控えください。またやりとりが何度にもわたるようだったり、長文になるるようでしたらメールにしてくださいませ。
様々な考え方があるのは当たり前なので、反論していただく事はいいのですが、ここのコメント欄をご自身の主張を展開する場として使用してもらいたくないということです。


> 例えば鹿の頭をそのまま供えるとか、
ああ、このことをおっしゃっているのですか。ちょっと整理しておかないといけないですね。

文中にもあるように【古式】ですからね【古式】。現代では私のところの神社もそうですが普通には鹿の頭をそのままお供えすることはありません。でも鯛や鯉あるいはスルメ等はほぼ必ず供えます。

さて
1、現代人の価値観だけで伝統、習慣をはかることはできません。
2、菜食主義の考え方は命を大切に思う素晴らしいものですが、しかし非菜食という事そのものを非難するのはまた違うのではないでしょうか。

そこには文化、伝統があり様々なことが含まれていることもあります。例えば日本には「ハレ」と「ケ」という文化があります。ハレの日に鯛でお祝いするとか、おせち料理とか食と文化は密接に関わっています。

例に出したのは鹿の頭でしたが、古式といえば当時は人間も神へのお供えとして捧げられてました。たとえば荒ぶる海を鎮めるため人身御供、人柱など聞いたことあるのではないでしょうか。これは世界中どこでも同じものがあります。「まんじゅう」を饅頭と書くのも元々は人の頭を供えていたなごりですよね。


あまり書くと長くなるのでやめますが結論的なことは
人間は大自然の中で生かされる存在であることを忘れないこと。それはすなわちすべてのことへの感謝。
人間も自然の中の一部であること知ること。草木が生えること、鳥が木の実を食べること、虎がウサギを狩りたべることも自然の営み。
食に関していえば、食は命そのものであること(動物も植物も)を忘れず、商業ベースで考えてはいけない。

http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-1057.html
↑これは食と感謝について書いている記事です。


と、結局ながくなったので近々記事におこしてみましょうか。

2012/10/24 (Wed) 17:59 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する