2008.03.13 Thu
えのきと龍馬とおりょうと時々父
武信稲荷神社には大きな榎の大木があります。この木は樹齢850年で平重盛が安芸宮島厳島神社から苗木を植えたと伝わります。
この大木は少し前までは航空の目印になっており航空図にのっていたそうで、このあたりのランドマークです。いまのように高層ビルがあるわけでなし、この木に登ると辺りが一面見渡せたそうです。
数十年前でも近所の悪ガキたちが木に登ってあそんでよく宮司さんにおこられたという話しを聞きますが、その当時の宮司は私の祖父ですが、もしかするとこの中にも心当たりの方がおいでになるかもしれません。
はなしの舞台は時代は江戸時代末期、幕末の混乱時期です。西郷隆盛、新撰組の時代です。神社のすぐそばには幕府の直轄の牢獄、六角獄舎がありました。ここには江戸幕府に反対する勢力、勤皇派の志士が多数捕らえられていました。
その中には坂本龍馬の妻おりょうの父が勤皇派の医者であったたため捕らえられていました。龍馬とおりょうは、父のことを心配して様子をみにくるのですが龍馬も幕府からは追われる身であるので正面からは面会などできない。そのため神社の榎の大木から牢獄の様子をうかがったといわれています。
その後、龍馬は混乱のため身を隠しおりょうと離れ離れになっています。おりょうは龍馬の身を案じ探しますが一向にあえません。そんなときおりょうはふと二人で何度か訪れた神社の榎を思い出してやってきました。
するとその榎の大木には龍馬からおりょうへの伝言に「龍」の字が刻まれていました。自分もいまは京都にもどっている。自分もおりょうを探しているんだよ。というメッセージでした。その伝言によりおりょうは竜馬が京都にいることを知り二人の共通の知人を思い出し訪ねふたりは再びめぐり合えました。

龍馬とおりょうは日本で最初といわれる新婚旅行に鹿児島県の霧島へ出かけています。これは有名ですが、竜馬が寺田屋で襲われて深手を負ってしまいますので、その傷を癒すためにというのが実際のところの大きな理由です。しかしこの旅行がふたりにとって最も幸せなときだったことでしょう。おりょうは龍馬にずっとケガをしていてほしい。そんなふうに思っていたのではないでしょうか。

後日談ですが
その後、龍馬は暗殺されてしまいます。おりょうは龍馬の死後はいろいろと転々としています。土佐の龍馬の実家で龍馬の家族としばらく暮らしたり、各地で旅館や飲み場で働いたりされていたようです。そして最終的には神奈川 横須賀の商人西村松兵衛という人と再婚します。しかし龍馬の死後はおりょうとは名乗っていません。ツルと名乗っています。おりょうと言う名前に龍馬との絆、つながりをもっていたようにも思います。
おりょうさんのお墓は、神奈川県横須賀市にあります。
西村松兵衛がつくったこのお墓には、坂本龍馬の妻おりょうと刻まれています。
3人の想いはどういうものだったのでしょう。
私達の住んでいるこの地域は、平安のころより都としてすぐ身近なところに歴史、ロマンがあふれる素敵な地域です。


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先日、夜中にこっそり(なんだかこんなふうに書くと怪しげですが)寄せていただいたとき、榎を見せていただきました。 本当に立派で、なんだかやさしい感じがする木ですよね。
見守られている、という気がしました。
| 紫 | 2008/03/13 22:39 | URL | ≫ EDIT