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ふれあいサロン当日編

先日の記事にもしていましたが、先週の土曜日に地域の小学校であった「乾すこやかサロン」というものにおじゃまさせていただき、1時間弱の講演(実際は講演というほどたいそうな事は私はできませんが)をさせていただきました。
場所はウチの地域の洛中小学校という小学校にある「洛中ふれあいサロン」です。ここは地域のお年寄りの方々などが気軽にあつまり交流を深める場です。


先日の記事を書いたときに、どんな内容のおはなしをされたのか聞かせてくださいとコメントを頂いていたのですが、当日のおはなしは漫談でもないし、地元の皆様とのおはなしですから、別にオチのあるはなしでもないので地元ではない方にとっては話をそのまま記事にすると面白くもなんともないような気がして迷ったのですが、まぁせっかくですので加筆修正して(加筆修正とすると当日どんな話ししたのですか?という当初の目的が失われてしまいますね( ̄△ ̄;))、ダイジェスト版で。


サロンの場所はもともとは小学校の図書館の場所です。お世話役をされるボランティアの方も含めると30〜40人(見た感じ)ほどの方がおいでになっていたように思います。
ちなみに私はこの小学校を卒業していますので非常に懐かしいです。小学生の頃は2クラス50人くらいが入ってもまだまだ余裕があるもっと広いと思っていた図書館ですが、大人が入ると50人ではピッタリくらいでしょうか。
小学生の頃に背の低い目線でみていたものが、今日は大人の目線でみるとなにか不思議な感じです。

大勢の方がこられるのだなぁというのが印象です。お世話役のボランティアの方とお話をしていると、先月のサロンが開かれている日に、珍しいほど雪が積もったときがあった。それで今日は大雪だから誰もこないだろうと思っていたら、誰一人欠けることなく皆さん集まったということでした。皆さん集まって楽しく過ごすのを楽しみにしておられるのですね。

さて話しの内容は
当社武信稲荷神社と洛中小学校は直線距離で150メートルほど、本当にすぐそばです。
地域の歴史と神社の歴史は重なるところが多いということでテーマは
「地域と神社の歴史」


武信稲荷神社は平安時代初期、清和天皇貞観元年(859年)に創祀された神社で、1100余年を経て現在にいたります。当時のこのあたりは平安京の中心地であり当時の古地図によるとそばには大内裏がありました。
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大内裏とは今でいう大蔵省、法務省、などにあたる役所があり、天皇のお住まいになる内裏(皇居)もあり、当時の政治の中心地であり経済の中心地でもあったわけです。
ちなみに当時の大内裏の様子は現在でも見ることができます。ご承知のように平安神宮はやや規模を縮小して応天門、大極殿など再現しています。
otenmon.jpg


当時このあたりには役所につとめる役人や、大臣たちのお屋敷も多数ありました。そのなかに、右大臣左近衛大将 藤原良相(ふじわらのよしすけ)という方がおられました。この方により当神社は創祀されました。
右大臣といえば位は左大臣に次ぐナンバー2、非常に高い地位で他にも有名な方々では、天神さん菅原道真公、藤原道長公、織田信長公、徳川家康公、などもそうです。


藤原良相公は西三条大臣ともよばれ、童話の一寸法師に登場します。一寸法師が京に上りあたりで最も立派なお屋敷を訪ね、その主の大臣様に家来にしてもらいます。その大臣様がこの藤原良相公です。

他にも今昔物語集・宇治拾遺物語に出てくる小野篁(おののたかむら)の地獄の裁判のはなしにも登場します。小野篁は世界三大美人(?)で有名な小野小町(おののこまち)の祖父。

篁は若いころ罪をおかし裁判にかけられる。そのときに藤原良相が彼を弁護し事なきを得る。その後大臣となった良相は病にかかり亡くなり、あの世で閻魔大王の行う地獄の裁判が始まった。
その裁判の最中に閻魔大王の横を見ると篁がいる。彼は地獄の裁判の助手を勤める人物となっていた。篁は以前裁判で救ってもらったことを恩に感じており、閻魔大王に「このものは非常に正直で優れた人物ですので、もうすこし生きさせてもらいたい」と頼んだ。閻魔大王も篁の頼みとあらばと、良相を生き返らせたという。
篁は生身の体でこの世とあの世を行き来して地獄の裁判を手伝っており、六波羅蜜寺の近くにある六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ)には篁が冥界へ通ったという井戸が現在でも見ることができる。


現在の神社があるあたりには、藤原氏の学問所勧学院、医療施設延命院という施設がありました。その施設の守護社(守り神)として、お祀りされたのが神社のはじまりです。勧学院と延命院はなくなり神社だけが残りました。また神社の北には今でも町名に勧学院町という名が残っていますが、その名前は勧学院によります。
しかしその当時はまだ武信稲荷神社という名ではありませんでした。
その後、同じ藤原氏の藤原武信という方がこの社を厚く信仰し発展にたいへん寄与したため、この方の名前にちなに武信稲荷神社とよばれるようになったということです。

このあとまだ時間があったので坂本龍馬とおりょうの縁結びのはなしを・・



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1日1回よろしくお願いいたします。

| ひとりごと | 20:45 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

こんにちは。
サロンの中でこんなお話を聞けるとは!
参加者の方々はきっと楽しかったでしょうね!
羨ましい・・・

| 青森かずき | 2008/03/18 15:23 | URL | ≫ EDIT

青森かずきさま

こんばんは。
ウチの地域のサロンではいろいろな講師をよんでおはなしされているみたいですよ。たとえば夏には祇園祭りのおはなしとか。これを以前ウチの父親がやっていますし。

| 神主 | 2008/03/18 21:49 | URL | ≫ EDIT















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