神道3

先日からの続きです。先日の記事を先によむと意味がわかります。

あなたの宗教はなんですか?という問いに日本人以外であれば8割~9割は自分の宗教の名前を答えます。世界中で日本だけだそうです。自分は無宗教だと思っている人がこれほど多い国は。(細かくいうと無宗教者と無神論者というものは違うのしょうが、スルーしておきます)。

お正月には神社へお参りに行きます
お盆にはお坊さんがきて仏壇で拝みます
家を建てるときには神主に頼み地鎮祭を行いました
クリスマスには家族で祝います
キリスト系の幼稚園で聖書と十字架を持ち賛美歌を歌い
高校は浄土宗系で寺で禅を組んだ
だから無宗教です
というようなのが多いところでしょうか。

日本人がいう無宗教と外国における無宗教、無神論者とはちょっと違います。
日本人の場合あまり意識したことがない。というのが大半だと思います。もちろん中には本当の無神論や無宗教もありますが、ごく僅かです。


インターネット上であなたの宗教は?というような掲示板に書き込んであったのですが、自称無神論者の方が「宗教みたいなものに時間と金を使うのは無駄だと思う。」という主張。
こういうのを見ると「日本は平和なんだなぁ」「のんきなもんなんだなぁ」と思います。
“宗教みたいなもの“とか“時間と金を使う”から典型的な宗教イコール「カルト宗教」のイメージが見事に現れていますね。日本人だなぁ・・と思います。

高額なツボを買わなければ不幸になる。とか
毎月高額のお布施(という名目)を支払わないと不幸になる。とか
法話の会には必ず出席しなければ不幸になる。とか
他の人を勧誘しなければ不幸になるとか。

こんな感じでしょうか。


そもそもなぜ宗教が生まれてきたのかということを考えると、人間には必ず心の支えが必要だからです。
これはどんな人であっても絶対に必要です。
もちろん科学であったり、哲学であったり、人により違いはあるでしょう。


先ほどの「宗教・・・・無駄だ」という人も(多分まだ若い世代の方だと思いますので)死ぬことは怖いと感じると思います。
死への恐怖。
全く光のない暗闇で、全く音のないところに、閉じ込められると人間は発狂してしまうそうです。
闇への恐怖。
いろいろありますが

何千年ももっともっと前から、どこの地域でも、中国でも、アフリカでも、ヨーロッパでも、アラブでも、どこの地域でも宗教は生まれています。
ジャングルの奥地でくらす文字を持たない人々のなかでも宗教はあります。
恐怖を克服するために、
幸せに生きたいと願う、
そのために心の支えがどうしても必要になるからです。
もちろん日本の神道もそうです




眠くなってきました。ここで区切ります

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コメント

うーん。深くなって参りましたね。
私はカミサマは「いる」とは思っていますが、神も仏もキリストも、そういうものを把握しやすくするためのシンボルだと理解しています。
日本人の正月は初詣、お盆に墓参り、クリスマスはケーキ、っていうのは無節操というより、案外と懐が広いからではないのかなあと思います。

2008/02/25 (Mon) 20:23 | こたつ #- | URL | 編集
こたつさま

こんばんは。
そのとらえかたは「いい」ですね。私も同じように思いますよ。
よく言いますが同じものを別の説明のしかたをしているだけだと。同じ料理のメニューを日本語で説明するか、英語で説明するか、中国語で説明するか、の違いで料理は同じだと。

2008/02/27 (Wed) 23:30 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
努力の世界で辛い

教会に数年通っている者です。
キリスト教はかなりシビアな宗教だと思います。幾度か「ついていけない」と感じてきましたが、マイペースで継続してきました。聖書学者の田川建三氏(「イエスという男」等の著書)だって、どう考えたってクリスチャンではないですよね?
聖書の解釈にしろ、教会組織にしろ納得できない事が存在します。自分自身どうしたら良いかわかりません。
クリスチャンを当分休むかもしれません。(半分自責ノイローゼです)

何年か信仰している私ですらそうなのですから、一般の方が抵抗を感じるのも最近は頷けます。余裕の無い方、多忙な方は宗教まで手が回らないかもしれません。宗教職ではないのですから、お金を稼ぐことだけで精一杯でしょう。キリスト教右派は積極的な「宣教主義」です。自分の命よりも神を優先する信仰スタイルですから、無理すれば場合によっては潰れます。

2011/04/12 (Tue) 14:55 | コバ #0f85wz/A | URL | 編集
コバさま

書き込みありがとうございます。
> 聖書の解釈にしろ、教会組織にしろ納得できない事が存在します。自分自身どうしたら良いかわかりません。
> クリスチャンを当分休むかもしれません。(半分自責ノイローゼです)

>余裕の無い方、多忙な方は宗教まで手が回らないかもしれません。

本来、心の余裕を得るための宗教ですし、宗教が負担になるということは、なにかのきっかけで順序が逆転してしまったのではとお察しします。
目的を達するため(心に余裕・平安を得る)の手段であるはずの宗教なのに、それ自体が目的になってしまっているということではないでしょうか。
信仰とは無理をされるものではないと思いますので、コバさまが納得できない、潰れるかもしれないと感じるのであれば、休まれてもよいのではないでしょうか。
自分にとって必要となったときには、乾いた砂地に水がしみこむようにすっと入るのではないかと思います。
戦国時代に隠れキリシタンというのが存在したように、権力者が禁止しても、自分にとって必要だと感じる人にはすっとしみ込むものだと思います。

ちなみに、神道は日本で生まれ、文化習慣にそってできあがった日本オリジナルのものですから、日本人にとってもっともしみ込みやすいものであるはずです。現代においてはそれを多くの人が忘れてきています。これは神社のほうにも大きな問題があるのだと私は思っていますが。

なにしろ重く考えすぎないで、心を軽くもってください。

2011/04/15 (Fri) 19:40 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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