2007.10.27 Sat
「死」ということ
なにしろ勉強家であり、多趣味な人だったので、本だけとってみても膨大な量です。
宗教、文学、美術、京都関連、科学、医学、歴史、工芸、なんでもありの無法地帯のような状態です。古書店が営めそうな量です。
そんな状態ですので自分がすぐに目を通すべきものと、しばらくは手をつけられないだろうものに別けて、しばらく陽の目をみないようなものたちは本が好きな方に役立ててもらえればいいなぁ・・・なんて思っています。
それから新聞の切り抜き。これも曲者です。切り抜き自体は薄っぺらいものですがなにせ新聞は毎日です。そのなかで彼の目にとまったものがエントリーされてくるのですから、守備範囲の広い彼のことです。結構な量になっています。(彼とは父の事です。敬愛をこめて(笑))
彼はいろいろなところで講演もさせて頂いていましたので、その資料にと切り抜くのでしょう。切り抜きだけで、みかんのダンボール箱になおすと10箱くらいになるのではないでしょうか。
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しかし、そんな具合に整理されているスクラップブックはほんの一部。氷山の一角どころか、氷山の先端1センチ。
大半は切り抜いたまま大判封筒にパンパンに詰まって発見されます。
しかしこれはまだマシなほうでひどいものは、切り抜かれずにそのまま発見されます。親切なときは赤えんぴつで「ここ」っと必要な部分をマークしてありますが、それすらないものは、一体どの部分のためにコノ新聞をとってあるのだろう?と全部読み直すところから始めなければなりません。
それらの新聞たちが、昭和30年代ころから平成16年ころまでのフルラインナップで待機しているわけです。紙面を読んで、「あ〜、この記事を残しておきたかったのだな」と見つけて、私が切り抜いて、それ以外のかさ張る部分を処分する。
その作業にかかる時間と、陽の目をみるのを今か今かと順番待ちをしている新聞達の残っている量を見比べると、つい
「ごめん。待ってくれていたのに・・・でも俺、やっぱりお前とは会えない」
とドラマのワンシーンを演じながら古新聞の袋へ入れてしまいます
そりゃ、わかっています。セミは地中で長い間過ごして、地上に出てきて一週間ほどで死んでしまう、その儚さがよく言われます。しかし地中で7〜8年、立派に生きて、地上に出てきて長ければ一ヶ月は生きています。
それに比べて、この切抜きになりそこなった新聞たちは、長いものは50年近くダンボールの底でじっと、待っていたのです。
わかっていますが、なにしろ多すぎます。申し訳ないと思いながら古新聞として処理します。リサイクルされて立派な姿になって戻って来ることを願って・・・
幸い私が神主なので、この切抜きになりきれなかった新聞たちの慰霊祭を執り行う・・・
予定はいまのところありません。
しかし日本人はそういう身の回りの物たちに対する感謝・慰霊、の心をもっています。
「針供養」などはよく聞くのではないでしょうか。
先日も、名刺の供養祭があったようです。印刷に失敗した名刺、古くなって使えなくなった名刺への、感謝・慰霊の祭りが執り行われたとありました。
同じ人間に対しても優しさが欠ける現代において、こういった心は大切にしたいものです。
・・・今日はこのような話をするつもりではなかったのですが、脱線。最後のほうは、好きなだけ脱線してやれと開き直っていますが・・
本題は明日へつづく・・・
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| ひとりごと | 19:08 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

「死」って重いテーマだな!
と思ったけど・・・古新聞の「死」なの?
| Bako | 2007/10/27 20:01 | URL | ≫ EDIT