2007.10.20 Sat
神主の身の上話7
自分は神主の親に育てられたということを思い出し
神の側で神に護られて大きくなったということに気がついた
これは私にとって衝撃的なことでした。
アイデンティティ(セルフ・アイデンティティ)の確立とでもいえるかもしれません。
自己同一性(じこどういつせい、セルフ・アイデンティティ)とは、自分は何者であり、何をなすべきかという個人の心の中に保持される概念である。
私は神主の家に生まれました。
しかし特別な教育を受けてきたかというと、そうではありません。市立の小学校を出て、市立の中学校を出て、市立の高校を出ました。全て自宅から徒歩10分(これもすごい)の学校です。
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例えば、何度も話に出ている大祓詞。神職の方々が奏上しているのを聞いて「あれ?自分もできる。」口から出てきます。
先生「今日は大麻をつかいます。」
私「はい。ではもってきます」
普通に聞くと、大麻?使うの?ですが、意味がわかります。
案、御幣、紙垂、三方、折敷、わかります
小さい頃から父と一緒に出かけると、神社の前を横切るときには必ず頭を下げて通る父を見ており、私も知らない間にやっていました。祭式ではこれを屈行(神前を横切るときに上体を折って3歩あるく)といいます。
おさがりを頂いて大きくなっている。米や野菜、魚、果物、神に供えるものを神饌といいます。供えた後に人が食べる。神に捧げたものを下げて、「おさがり」を頂てきた。
学んでいくにつれて、知識が増えてゆくにつれて、私の中から湧き出てきます。
小さい頃の記憶
神主であった父の背中
毎日父の後をついてまわって境内の神様全てに手を叩いてまわっていたこと
落ち葉でいっぱいの秋の境内で自分の背より大きいほうきを持っていたこと
交通事故にあって怪我ひとつなく回りが驚いていたこと
お祭りの日はお祓いをうけてお手伝いをしてたこと
何かあれば本殿の前で祈っていたこと
私の中にはいろんな種が植えてくれてあった
水もやってなかったし、日当たりも悪かったので芽はでなかった。だから種が植わっていることを忘れていました。
画竜点睛
私の中にいた竜は
コンプレックスの鎖を解かれて
瞳を描き入れられて
大空高く駆け昇る
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全然ダメだ。言いたいことがまとまりません。とりあえずアップして、後日加筆修正するかも。


| 神主のはなし | 23:54 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

毎日 毎日 連ドラみたいに興味深く拝読していました。
うちにも二人息子がいて、ずっとお寺の子だから小さい時からお経も読めるの?当たり前やんねえ!って感じで人から思われる事に反発しきりでした。 でも何故か現在二人とも、お坊さんの修行に入っています。
神主様の如く、自身の中で某かの納得の日が来るのかと祈るのみの母です。
| おへそ | 2007/10/21 10:25 | URL | ≫ EDIT