2007.10.12 Fri
妖かし
これはある本の一文を読んで、ふと月を連想したためです。昨日の記事のとおり、神秘性、謎めいた、妖しい美しさ、そんな月を思い浮かべました。
その一文がコレです
見てはいけないものを見ている気がした。
禁足地に侵入するような心地で私は境内を歩いていた。京のど真ん中に、こんなにも胡乱な空間が残り得るものだろうか?
ルネ・マグリットの絵だと私は思った。
入江敦彦著 怖いこわい京都、教えます
新潮社

この本で紹介されている、とある神社の記事の冒頭部である。
↑ちょっと私も物書き風の口調(笑)
ルネ・マグリットについて
「イメージの魔術師」と呼ばれるマグリットは、20世紀美術のもっとも重要な運動の一つであるシュルレアリスムを代表する画家である。マグリットの作品の画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付された不可思議な題名ともども、絵の前に立つ者を戸惑わせ、考え込ませずにはおかない。
マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである。
(Wikipediaより)
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先日当ブログに、武信稲荷神社をこの本で見て知った。というコメントを書き込んでくださったので(ありがとうございました。それでこの本を知りました)、早速私もこの本を読んでみました。
私は著者の入江敦彦氏とは面識はありませんが、お知り合いの方から氏はこの近くに来るたび「武信さんはええわぁ〜」といって毎回お参りされる。このたたずまいが気に入っておられるそうですよ、と聞いたことがありました。
さて本文中では
老朽化し傷みが目立つ建造物の「荒廃」のイメージ
きれいに掃き清められた境内の「清浄」のイメージ
この「荒廃」と「清浄」という相反する要素がなぜかしっくりと馴染みあっている。と語られています。
そして武信稲荷はその存在そのものが矛盾を孕んでいる。と。規模は小さいながら洛中には千年以上の歴史を誇る神社は他にもある。しかしそれらは、国家事業に係わっていたり、国策として天皇の勅願で建立された・・といったものである。
しかし武信稲荷神社は藤原氏の施設の守護社、あくまで私設の神社でありながら千百年もの間京洛の中心で「聖地」としての面目を保ってきたのだと。ありえないことではないが、私は他にこのような例を知らないと・・・
そして正体のわからないものにはしばしば魅力を感じる。この神社の風景にはその妖しい魅力があると結んでいます。
私は常に見ていますのであまりわからないのですが、どうやらそのようです。しかしまぁさすがにプロは魅せる文章。
私も同じように思います。
京都のど真ん中、商店街と住宅の狭間に突如として現れる鎮守の杜。
そして神社に足を踏み入れると葉がすれや鳥のさえずりが聞こえる静寂な空間。
榎の大木が覆いかぶさり、木の周辺は森の中のように昼でも薄暗さがあり畏怖を感じる。
「雑沓」と「静寂」
「荒廃」と「清浄」
「怖れ」と「敬い」
しかし何より1100年もの間この土地の方々の生活(くらし)の中にいきづく神社である。その人々の心がこの神の鎮まる神域を創っているのだと思います。
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| 外向のはなし | 23:41 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

こ、こんばんは(。。lll)
神主さま、京都って、こわいとこなんですか?
武信さんとこにも、怖い話があるんですか?
いやっ、いいです、なにも言わないで、きゃーおトイレにいけないwww
↑わるのり、すみません^^;
| なな | 2007/10/13 01:26 | URL | ≫ EDIT