2007.10.04 Thu
龍馬、愛の伝言刻む
「ふるさと昔語り」ということで地域に伝わる昔話、伝説を紹介するコーナーです。

以下記事抜粋
一本の木を舞台にした、坂本龍馬と妻おりょうのロマンチックな口伝がある。江戸時代末期、龍馬は追っ手から逃れるためおりょうと離れ離れの日々を送った。二人の思い出の場所でエノキの木肌に、「伝言」として「龍」の字を彫り、晴れて再開を果たす・・・
武信稲荷神社(京都市中京区)の御神木でもある樹齢850年のエノキは幕末の混乱期、悠然と二人の愛をはぐくんだ。
同神社に伝わる物語は当時、神社の目の前に江戸幕府直轄の六角獄舎があったことと深い関係がある。おりょうの父・楢崎将作は勤皇の志士を支援した医師。1858年に始まった安政の大獄に捕らえられた。おりょうは父を心配し恋人の龍馬と向かう。だが面会は難しく、高いエノキに上って安否を探ったとか・・・
幕府に追われる龍馬は京都で生きているとの証に目印に代えてエノキに名前に共通する一文字を彫った。おりょうが龍馬を探し思い出の場所を訪れると、見慣れた文字がそこに・・・
龍馬が京都にいることを知ったおりょうは共通の知人を介して再開できたという。
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仲尾宗泰宮司は「二人とも互いの思い出がのこるここに自然と足が向いたのでは。龍馬の字は癖が強かったのでおりょうさんは見逃さなかったのでしょう」と二人が生きた約150年前に思いをはせる。
1864年、禁門の変「きんもんのへん」、(または蛤御門の変「はまぐりごもんのへん」ともいう)の際には混乱に乗じ六角獄舎で大量の処刑が行われた。その様子を子供たちがエノキによじのぼって見たとも伝わる。今も境内、木の周りでは子供が駆け回り、本殿や木の前で参拝者が手を合わせる。
エノキは平安時代末期に平重盛(たいらのしげもり)が安芸の宮島・厳島神社から苗木を移したと伝わる。今では京都市の天然記念物に指定され、高さ約23メートル、幹回り4メートル。太い枝が四方に各10メートルほど伸び小山のような姿を作る。
「縁の木」ともよばれ、縁結びの御利益が伝わり、龍馬とおりょうを導いた力は、今も多くの人の心を引き付ける。
というようなものでした。でもさすがに新聞記者さん。決められた文字数でうまく表現されますよね。
ところで、禁門の変というのは幕末(新撰組)に京都御所の禁門(蛤御門)付近で激しい戦闘がおこった軍事紛争です。
この禁門のことを蛤御門(はまぐりごもん)と呼びます。なぜ蛤御門と呼ぶようになったかというと、1788年1月30日に天明の大火と呼ばれる大火事がありました。その際、京都御所は天皇のおいでになるところですので禁門は常に閉じられたまま(だから禁門なのですが・・・)でしたが、大火事により初めて門が開かれました。
貝の蛤(はまぐり)が火であぶられると口を開く、その姿に例えられためです。
ちなみにウチの町内は今新在家西町といいます。
この蛤御門のある場所はその昔、新在家町という名前でした。御所を拡張する際にその町を今のウチの町内のある場所へ移転をしました。それで現在ではウチの町内が今新在家西町、となりの町内が今新在家東町といいます。
で、蛤御門とよばれるようになるまではその門は新在家御門と呼ばれていたそうです。
京都の方にとっては珍しくもなんともない話ですね。スミマセン。
いや・・・他府県の方々がたくさん見てくださってますのでm(__)m
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| 外向のはなし | 20:21 | comments:14 | trackbacks:0 | TOP↑

romantic love story
素敵なお話です。そんな言い伝えの木があったのですね。とても心が熱くなりました。
古い大木には精霊が宿っています。きっとこのエノキは二人を再会させようと必死だったのでしょうね。
| 阿修羅王 | 2007/10/04 22:49 | URL | ≫ EDIT