おなじこと

2月17日は祈年祭をおこない新春の祭典はすべて終わりました。祈年祭(としごいのまつり)は一年の豊かな実りを願う大事な祭りですが、うちの神社の祈年祭は早朝に神主がひとりで祝詞を奏上するだけの簡単なものです。2月には節分祭、初午祭とお祭りが続き、一年の豊作も祈願していますので祈年祭はちょっと簡略化させてもらっています。これで次は5月の例祭までしばらくは大きなお祭りはありません。

年末年始と慌ただしく過ぎましたが、季節は同じように巡り行きます。
悲しいことがあったからといって春が来ない、逆にうれしいめでたい事があったから3割増しでと暖かさが増えたり、はやく来たりするわけではありませんしね。春は同じようにやってきます。
地球温暖化で暖かさはいつもより多めというのはこのところよくありますが・・・

神社の祭り、行事というのは基本的には毎年おなじように決まったことを行います。この決まったことを同じようにおこなうというのは変化がなくて退屈なようにも思われることもありますが、実はそれがすごい事だったりします。同じことを同じようにできることの素晴らしさ。

1000年以上同じことを同じように続けているというのって驚くべきことです。日本、神道ではそういうことは決して珍しくなく、先日おこなった初午祭も約1,300年前に稲荷の大神様が初めてこの世に降り立たれたことを祝っての祭りで、1000年以上ずっと続いているものです。そんなことが当たり前に残っているのは世界中でも日本だけではないでしょうか。
同じことを同じように繰り返すというのは大抵の人はそうだと思います。仕事にしても基本的には同じことの繰り返しでしょう。昨日は魚屋さんとして魚さばいていたが、今日は大工さんとして家をつくり、明日は会社員になって経理をする、なんてことはないですから。
私ももちろんそうで、神主として神社の用事をしていますが、この数年ほどは有り難いことに年々忙しくたくさんのお仕事をさせていただいています。仕事をさせて頂けるということも本当に幸せなことです。
仕事とは収入を得る仕事の他にも家事や子育てなど仕事すべてですが、神道では人が仕事をするのは神様の行為を真似る尊いことと位置づけられます。仕事を通じて成長、学びを得られ、まさにさせて頂ける、です。西洋での仕事に対する考え方とはまた違いますね。


先月、成人式にお招きいただいたので出席してきましたが、そのとき新成人に贈る言葉のなかで「志(こころざし)を持って」ということをおっしゃっている方がありました。
これから社会人として仕事をすることになると思いますが、志とはただの目標とは少し違います、心がはいっているものです。というような内容だったと思います。(なにせ一か月前のことなので記憶はすでにあいまいです)


私も仕事をたくさんさせて頂けるので大変ありがたく思っているのですが、まずこの仕事、次はこれ、その次はこれ・・・エンドレス・・・
目の前の仕事に追われ、それをこなすだけになり、先のこと、広い視点でみることができていなかった。一生懸命、手を抜くことはなく常に心をこめて仕事はしていましたが、志が抜けていたのでは!とハッとしました。

志(こころざし)の語源である「心指し」心がどこを目指すのかを指し示す、の部分です。
心を込めておこなうことと、志をもっておこなうこと、どちらも大事で似ているようで違いますものね。

このブログを始めたのが2007年の2月でした。振りかえると今月ちょうど10年になるので驚いているのですが、その頃は志がはっきりありました。当時は目の前の仕事量が余裕をもってさばける範囲だったので志しかなかったというほうがぴたりかもしれませんが(*^_^*)

そんなことで、新春のお祭が一段落したいま、志についてあらためて思ったのでした。




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一寸法師御守り | Home | 平成29年節分祭・初午祭

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