今がつくる

過去に書いたブログ記事に「中今」というものがあるのですが、それを読んで神社に参拝したくなり、お参りをしました。というお声をいただきました。
これがその中今の記事です↓
http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-985.html

中今(なかいま)とは神道の概念で、いわゆる過去・現在・未来、でいうところの現在、にあたるところです。過ぎ去った過去の出来事を悔やむのではなく、まだ起きていない未来の出来事に不安を抱き、思い悩むのではなく、より良いものになるように今を精一杯生きるというようなものです。当然ですが今さえよければいいというものではありません。

もちろん単純にそれだけではありません。話しの都合上、過去・現在・未来とわけましたが、本来は一般的にいう「時間の流れ」のようなはなしでなく、過去・現在・未来とは別々のものではない同一のものであるということ。昔の事、未来の事なのではなく、それらはすべて今なんだということ、それがポイントだと思います。
永遠に今があり、そのうえでまわりが変化をしている、神々の世界が語られる神話の時代も、インターネットでブログを読んでいる時代もすべて今。私達と神々の世界は別のものではなく、同じものです。

とそれを書き出すと長くなるので、まぁ以前の記事でもちょっと書いてますので(読み返してみましたが、うまくは書けてはいませんでしたが)それを見てもらうとして、そんなことをちょうど思い出していたのですが、昨日の朝自転車で神社にくるとき通り道にあるお寺の掲示板に面白い言葉があったので、それらをみて思う事をかいてみようかと思い立ちました。
掲示板にかいてあたのは
「過去の自分は今の自分がつくる。未来の自分は今の自分がつくる」
はっきりとは覚えていないのですが、そんな感じでした。
この言葉の真意はわかりません。解説はなかったように思いますが、直感的に意味はわかります。というか言葉の面白さというか、すごいところは読む人によって様々な意味がうまれるところですよね。


私がその言葉を見て思ったのは
過去の自分というのは、自分が今思い出すことで生まれる。子供のころスポーツの練習が厳しくて苦しかった、習い事をして遊べないのがつらかったが、今思い出してみるとあれはいい思い出となっていれば辛い、苦しいものでなく楽しい、笑い話にもなります。

その時は楽しいと思ってやっていたことも、今思い出すと相手の人に悪い事をしたなと感じることならそれは悲しい、辛いものとして今存在します。
これはつまり過去の自分を、今の自分がつくっているということです。

未来の自分とは今の自分の行動や考えの積み重ねでつくられる。これはよく言う事ですよね。
なので冒頭の「中今」のことが頭にあるときに、お寺でそういう標語?があったのでおぉ!タイムリーと思い書いてみました。

すべてのものは今の自分がつくるというのは、物事の深いところにつながると思います。人の記憶もそうですが、記憶とは脳が映像とか記録しているのでなく、細切れにして保存している情報をもとにその都度新しく作っているということらしいです。
目の前にリンゴがあったとして、それを目で見るということも、眼球にうつった映像の情報を脳が処理して映像として自分で作り上げているものですし。
リンゴを手でさわって感触があったというのも、脳が情報を処理してさわった感覚を作り上げているものです。
すべて自分がつくっているんですよね。

古代哲学者の言葉ではないですが、すべてのものを自分がつくりあげているのであれば、この世界のあらゆるものが本当に存在しているのかどうか疑わしい。自分の中だけで作り上げたものなのかもしれない、ということですが、
逆にいうといま自分がいるから目の前のリンゴを見ることが、さわることができるし、もし自分がいなければそこにリンゴは存在しないのです。
言いかえると、今自分が存在しているからこそこの世界が存在しているということでもあるんですよね。

神道では自分(人間)は神の分け御魂(わけみたま)であるとします。これは人は神の一部分であるとしていますが、そういうことでしょう。
この世界があるから今自分が生きているわけですが、自分がいるからそこに世界が生まれるということなんですね。


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