ひとがかわれば続き

前回からの続きです
前回の話はまあ笑い話ですむものですが私この、同じことでも誰が話すのかによって受け取り方が違う、というのは実は常に気を付けていることです。

神主の立場で人前にでるとき、あるいは講演などで人前でお話をさせていただく事もちょくちょくありますが、そのときなどは講師という立場ですので、先生と肩書をつけていただくことも少なくありません。
そういう場合は前回のはなしの逆でしょうか、言ったことに「ほぉ、そうですか!!」と持ち上げてくださることもしばしば。私はそういう持ち上げてくださるのが苦手なので、そういう感じになると穴があったら入りたい感じになるのですが。

ただ、それが当たり前と思ってしまうと驕りというか慢心というか、そういうものが生まれてくるように思うので、立場でものをしゃべらないように、というのを気を付けておかないといけないと思っています。
どんな立場でいるときも常に謙虚でいないとねと。

以前、精神科の病院に入院していた友人がそのときの事を話してくれたのですが、病院にお坊さんが来てくださって法話をされた。そのとき入院している人の中に法話をされていたお坊さんと同じ宗派のお坊さんがおられて、法話の内容にケチをつけたそうです。
同じお坊さん同士のそのときの様子、やり取りをみて、お坊さんっていう立場の人が偉いわけでないんだなあ。人次第なんだなぁと思った。という話を聞きました。


本当にそのとおりだと思います。
立場や肩書がえらいのではなくって、結局なにをするにしてもその人次第なんですよね。
立場や肩書がかわったり、なくなったりした時に残るもの。そのときどんな自分になるのか。それを大切にしていかないといけないってことですね。


ちょっと話はそれとは違いますが
都会で朝から夜まで慌ただしく生活していた人が、疲れ果てた末に、都会を離れて山里で暮らして、その中で見つけることができるのは立場や肩書に関係ない何かなのでしょうか。
私は山奥でくらした経験がないのでわかりませんが、以前そういうお話を聞いたことがあります。人間社会でそれまで持っていた肩書や立場は一切関係ない生活をしていると今まで気付かなかったものに気が付けたと。


人は死ぬ時は物は何も持っていけないし、何を残せるのかと考えてもなかなか難しい。考えてもよくわからないので、とにかく私は、もし明日死んでしまってもいいように、後悔しないようにと心がけるようにしています。
といってもなかなかできませんけどね、そんなこと(;一_一)
まぁ毎日を精一杯、一所懸命、充実させて、そして人間の基準だけに沿ったものでなく、人間も含めそのほかの全て含めた、もっと大きな基準にそって生きていこうっていうことですかね。



よければランキング↓にクリックお願いします。

人気ランキングへ1票入れる
”FC2ランキングへ1票入れる


ばなな | Home | 人がかわれば

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する