新しいなにか

前回の記事のつづきです
もてなす心というのは神様に接する作法ともよくにています。
神前での神主の所作や神様への供え物などにいろいろ決まりがあります。神様に失礼のないように、愉しんでいただけるように、それは最上のもてなしの心と言えます。

たとえば神饌(しんせん)にもいろいろと決まりがあります。神饌とは神様へのお供えもののことですが、お米、お酒、餅、魚、野菜、果物、菓子、などいろいろあります。いろいろ決まりがあったりします。
魚をお供えするときほぼ必ず登場するのは鯛です。鯛は魚の王様なんていわれるくらいで高級なものですし、また「めでたい」ということで縁起がよいのでお祝い、おめでたいときにつきものです。だから最上級のおめでたい神前での祭典では鯛はレギュラー選手です。
鯛のほかにも魚をお供えしますが、よくあるのは鯉です。
この場合ですとお供えする順番は鯛が先、鯉が後となります。もうひとつ前から順番にならべると、お米、お酒、お餅、鯛、鯉・・・と続いていきます。
コース料理でも出てくる順番って決まっていますが、適当に決まっているわけではなく美味しく食べられるように考えて順番が決められていますがそれと同じです。

お魚をお供えする向きも決まっていたりします。
海腹川背(うなばらかわせ)、海の魚は腹を神様に向けて供える、川の魚は背を神様にむけます。板前用語に同じ海腹川背がありますが意味は同じだと思います。海の魚は腹に脂がのって美味しい、川の魚は背が美味しい、だからそれを神様(板前さんの場合はお客様)に向けてお出しすると。
それで魚の頭の向きが神様の方向(中央)に向くようにします。
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そろえるものも様々なもので、海藻を供えるなら奥津藻菜(おきつもは)海の沖のほうでとれる海藻、つぎに辺津藻菜(へつもは)海の浅いところでとれる海藻。
野菜であれば甘菜(あまな)、つぎに辛菜(からな)。甘菜はまあ字のごとく甘い味の野菜で青菜、ほうれんそうとか小松菜などの葉物野菜、辛菜は逆に辛い味の野菜で大根とか生姜とかからし菜とか辛い味。
ほかにもいろいろ季節によって美味しく食べられる旬のものをお供えるすることもよくあります。


このようにお供えするもの、お供えの仕方に決まりがありますし、神主の所作にも決め事があり、祭りの手順にも当然決まりがあります。神前でも足の運び方、手の位置、ものの持ち方など決まっていたりしますが、それは神前で、神様にたいして失礼のないように、美しく見ていただけるように決まっている事です。

日本では「型」というのは重要視されていて、型は文化であるといえると思います。華道、茶道にも型はありますし、武道にも型があります。職人が技を覚えるのも師匠の技を見て真似ることからはじまります。
この型の文化というのは先輩の真似する、だからオリジナリティがない、独創性がない、以前に記事にしていますが私、昔は型というか昔の人が決めた事をそのままおこなうのは進歩がないと否定的に考えていました。でも決してそういうことではありません。
型から入ることで先人の築き上げてきたことを学びますが、型を本当に理解して自分のものとするためには、真似事だけでは決してできません。型の先にあるところへ、もう一歩先に進まないといけないと自分のものにはできません。その一歩は自分独自のもの、独創性がなければすすめません。

神主の所作の決まり、お供えものの決まりもそれと同じであると私は考えています。
お祭りの手順がきまっている、神主の所作が決められている、お供えするものが決まっている、そういう事を型とするならば、私はその型をまもり、もう一歩先に進むことをいつも考えています。
それはどういうことかというと、決められたお供えものを供えること、神主の動く手順、それそのものが目的なのではない。神様に対して失礼がないように、美しく見えるようにというだけではなく、科学反応のように、型通りにおこなうことで特別な何かが生み出される。それを生み出すこと、それが重要であると。

たとえば、マヨネーズの材料は卵と油と酢です。これを正しい手順で混ぜ合わせるとマヨネーズができあがります。まず卵と酢を混ぜてそこに少しずつ油を混ぜる。でもこれを卵と油を混ぜたあとに酢を加えてもマヨネーズにはなりません。決められた型の通りにすることで何かが生み出されるとはこんなイメージだと思っています。

決まった物をお供えして、型とおりの動作で祭祀を行うことで、どんな反応がおきるのかというと、神様とつながるためのチャンネルが開くのだと私は考えています。チャンネルがつながるとそこから神様の力を受け取ることができます。

型とおりにやらなくても神様とつながるためのチャンネルを開く方法をみつけることはできるのでしょうが人生80年、いくら生きても100年ちょっとのその期間で0からはじめて見つけるのは大変なことです。それなら先人が何百年、千年以上の時間をかけて一歩ずつ積み上げてきたそれを引き継いで、その先のあと一歩を進める、そうありたいと考えてます。

おもてなしの話のはずが最後のほうは自分に言い聞かせるひとりごとになってしまいました・・・


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コメント

基礎と個性

今晩わ、いつもありがとうございます。

先日のお伊勢様の御遷宮で改めて皆が思ったことは、全く同じものを作る事です。

お社に限らず装飾品に於いても千三百年もずっと変わらない、変えてない事。それに携わる棟梁ほか職人の方々。

普通は大工仕事でも彫金や料理でも個性を第一にして商品価値を高めますが、全くの逆ですよね。

営業写真でも婚礼なんかは「型物」と言ってそれなりの決まりはありますが、それでも個性がその写真館や写真師(カメラマン)の売りになります。

華道もしかり。書道もしかり。

例外は鉾建てと雅楽でしょうか…

3Dプリンターでレプリカは簡単に作れる21世紀ですが、やはりなんと言えばよいのか…個性を敢えて消しさること。

うまく言えませんが、神主さまの仰るとうりです。

2013/12/13 (Fri) 02:36 | ジンジャー #- | URL | 編集
形どおり

マニュアルに従って!

と良く聞きますが、確かにそのマニュアル通りにしなければ、
例えば、学校や駅に最近設置してある。AEDなども、きちんとマニュアルに従わないと作動しなかったりしますしね。

保護者会なんかで、子供の短所を注意したいときでも、まず誉めてから、と言うのが手順です
つまり、形どおりというのは
一見、堅苦しいようですけど 案外、世の中を円滑化していくためには、すごく大切なことかもしれません。

神主さんには神主さんの
幼稚園の先生には先生の
医者には医者の!

形があるから、それぞれが素晴らしい一つの個性を発揮することが出来るのではないでしょうか?

2013/12/14 (Sat) 01:52 | 花梨糖子 #- | URL | 編集
修身

機械を正しく動作させるための説明書=マニュアルと人が人と関わりを持つうえでの心構え・手引き=マニュアルとはちょっと違うと思いますが…。

教育勅語は軍国的だとか学校の先生たちは批判的で表舞台から消えましたが、至極当たり前の大切なことが書かれてると思います。

具体的にどうこうするのを書いてはないです。心構えです。これらをもとに各々人にたよることなく各自励みなさい、という事だと思います。

2013/12/15 (Sun) 08:25 | 滅私奉公 #- | URL | 編集
ジンジャーさま

遷宮はあらためて、すごいことですねと実感できます。
1300年前と変わらぬ姿を今の世で見ることができる。それを残すことができている。

型をまもり変わらぬものを残し繋いでいるから技術が残っています。
型を捨てた後はそれそのものが失われることよくあります。
つい最近まであった技術が今では失われて同じものが作れない、ということよく聞きます。

2013/12/18 (Wed) 22:38 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
花梨糖子さま

マニュアルは手順書でいいのですかね。
マニュアルから手順を学び、その先に進むことが大事ですね。

> 形があるから、それぞれが素晴らしい一つの個性を発揮することが出来るのではないでしょうか?
そうですね。
素晴らしい個性とは、勝手なことをすることが個性ではないですからね。
個と個が集まり何かを形作るわけで、決して個だけで成り立つものなんてないんですよね。

2013/12/18 (Wed) 22:49 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
滅私奉公さま

そうですね。たしかに少し違うものですが
でももう一歩進めて考えると今回話題にしている「型」と通じるものがあるのではないかと思います。

日本の型の文化ってとにかく徹底的に形を学ぶ。職人とか料理人とかもそうですが理屈ぬきで形を学ぶ。下積みというのだと思いますが、それが自分の一部のようになったとき、意味、大切なことがわかることも。
まぁ私の願望的感覚なのですが、機械に接するときでも人と接するときと同じ心構えがありたいものだと。すべてのものが神の分け御霊であるもちろん機械もそうですもの。

2013/12/18 (Wed) 23:02 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

私の町の春まつりでも、「海腹川背」で味のいい側を神様に向けるというルールで行っています。
 ただ、夕方から午前零時までは鯉でそれ以降は鯛にかえる作法で行っています。(まつり心得)
 今更、変更はできませんが、本来は鯛がさきなんですね。
また、動物愛護の観点から、生き物を供えるのは残酷、虐待という声もありますが、どう解釈すればいいのでしょうか?
教えてください。なお、私は神主ではありません。氏子です。

2015/05/23 (Sat) 00:29 | 自然大好 #- | URL | 編集
自然大好さま

作法については各神社で独自のものがあってもなんら問題ありません。一社の故実ということで独自作法はたくさんあります。

> また、動物愛護の観点から、生き物を供えるのは残酷、虐待という声もありますが、どう解釈すればいいのでしょうか?

「生き物を供えるのは」とありますが、当然供えた後には神事にかかわった人達で頂きますので、供えることが残酷、虐待という声はないでしょう。動物愛護の観点ということですと「生き物を食べること」が
という主張だと思いますので以下「生き物を食べる」と置き換えて書きます。

そもそも動物愛護の観点から、神事の一部分に残酷、虐待との声がズレています。
生き物の命を大切に思う、全ての命を慈しむこと。これは間違いなく必要なことで素晴らしいことです。
しかしそれは「他の生き物を食べること」が残酷、虐待だということにはなりません。

この世界は植物、動物、微生物、様々な生き物によって成り立ちますが、もし世界に草食生物しかいなければ植物はあっと言う間に食べつくされ全ての生物は絶滅するのではないでしょうか。適度に肉食生物が捕食することでこの世界全体でみるとバランスが保たれています。
「自然」とはそういうことだと思います。

生き物の命を大切に、全ての命を慈しむということは、「動物を食べること」が悪い、非難するのではなく、人間がそのバランスを崩すことのないようにすることです。絶滅した動植物が激増している等いま生
命のバランスが人間によって崩されていることは明らかです。

食品の大量廃棄、過剰なサービス、行き過ぎた人間の活動これらをなくすことが必要なことです。
それらを気付き、知るために「感謝の念」が絶対に必要なことであり、それを行っているのが神事(神に供える)という行為です。
どう解釈ということですと、神に供えるという形だけではなく、一歩踏み込んでその意味を知り、他の命を、生命のバランスを守るということである、と私は考えています。

2015/05/29 (Fri) 16:48 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ありがとうございました。

 神主様  御教示ありがとうございました。作法につきましてはそれぞれ、の神社故事ということで安心いたしました。
 供え物の魚につきましてもありがとうございました。
 年によっては鯉は生命力が強く川、6時間過ぎても生きていることが多く、川へ放流することもあります。

2015/06/08 (Mon) 17:09 | 自然大好 #- | URL | 編集
自然大好さま

鯉は生命力が強いので大抵は祭典が終わってもしっかり生きています。それだけ強いのでそれにあやかりたい、また象徴として使われるのでしょう。
川へ放すとこは他にもありますね。わりと多いと思います。

2015/06/15 (Mon) 10:35 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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