お・も・て・な・し(ハート)

今年の流行語大賞、4つ同時に選ばれたようですがそのうちのひとつが
お・も・て・な・し(ハート)
というやつみたいです。オリンピック誘致のスピーチ内の言葉のようですが、私それ見てないので実物は知らないのですが、すごい盛り上がりだったので素晴らしいスピーチだったのでしょう。

その「おもてなし」ですが最近わたしも「おもてなし」についてなるほどねぇと思うことがありました。
私のところに来客があったとき、もちろんお迎えして応対しますが、こられた方との間柄によっても程度は違うと思います。
学生時代の友人が訪ねてきた場合と、仕事のうえで取引がある方、普段からお世話になっている方が尋ねてきたとき、近所の顔見知りの方がこられたとき、それぞれで応対の仕方は違います。日頃お世話になっている方なのに学生時代の友達のノリで応対することはありないですし、気心しれた友人に対して目上の方にするような応対するのも水臭い感じがします。だからお相手によって応対が違うのは当然のことですが・・・

わたし、一年間365日、8760時間のうち9割は神社にいると思います。日数でいうと約328日、時間でいうと7884時間くらいです。ですから人と接する機会でもっとも多いのは神社に御用があってこられる方に応対する場面です。神社に御用があっておこしになる方をお出迎えするのはやっぱりそれなりに少しかしこまった感じでしょうか。
それを普段からずっと(年間約328日、7884時間)やっていますと、知らないあいだにそのスタイルが当たり前になっていることがあります。

で、以前からちょくちょく指摘されることがあったのですが、友人(かしこまって話す間柄ではない人)が神社に来られたとき、そのときの私の応対がすごく冷たい印象をうけるとか、店主とお客さんぽいとか、壁を感じるとか言われます。
学生時代の友人が神社に訪ねてきたときなんかでも自分では意識していないのですが、ちょっとよそ行きの、かしこまった応対になっていることがあるらしく、「なんだなんだ?人違いか?」と私ではない別人か?怪しまれることがあります。

神社に来ている人だからかしこまった応対をすべし。
いや友人だからフレンドリーに応対したらいいよ。
という硬い人とやわらかい人、このふたりが脳の中でやりあっているのかもしれません。私はまったくの無意識なのですが。

先日もつい最近お友達になった方が神社にこられたときに同じような事を感じたらしく、
邪魔してしまったのかも、壁を感じた、冷たくされた・・とへこんだそうです。でもその日の夜にたまたま読んだ「月刊京都」という雑誌にそのとき(私とその方が相対しているとき)の情景とそっくりな記述があったそうで、「あぁ、これが京都のおもてなしなのか」と知りましたと連絡をいただけました。
そうやって言っていただけて私としても非常にうれしいのですが、私自分のことを京都人という意識があまりないのでピンときていませんでした。それでどういうことですかと聞いてみると
そのとき「月刊京都」に掲載されていたのが、
「一歩ひいたおもてなし」というものだったそうです

京都の人は、実は人と人との距離感をはかる能力が高い。お客様につかず離れず、絶妙な間でのおもてなしを行う。それは、敬語表現の豊かさによるものであろう・・・(以下略)
というか「月刊京都」という雑誌があるんですね。すごい。


しかしおもてなしというのは確かにそういうところがあると思います。おもてなしを受けていただく方が主となるのですから、おもてなしの押し売りにならないようにしないといけないと私は思っています。そのためには距離感をはかるというのは大切なことですね。おもてなしされ過ぎることを嫌がる方もおられるわけですし。美容室とかタクシーとか、トークのサービス?というか会話をふってこられるのが楽しいと思う方もいるけれど、静かにしておいてよと思う方もおられますから。
出過ぎず、さがり過ぎず。それはなにも京都の人に限ったことではないですけどね。

まぁわたしの場合「月刊京都」のいわく京都のおもてなしを意識していたわけではなく、神社に来た人は神社に御用がある方、つまり神様に会いにこられた、と脳が錯覚してしまっているだけなんですけどね。私に会いにきた友人にも神社に来た人ということで脳が間違えるみたいです。


もてなす心というのは神様に接する作法ともよくにています。
神前での神主の所作や神様への供え物などにいろいろ決まりがあります。神様に失礼のないように、愉しんでいただけるように、それは最上のもてなしの心と言えます。

長くなったので次回へつづく
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コメント

いつもありがとうございます。

真ん中を歩かないとか、神さまにおしりを向けない…とかですね。

やはり「道」と名のつくもの全てに共通してますよね…。

茶道・華道・剣道・柔道。合気道。しかも畳や床が一番良く似合う空間。

残念ながら幼少の頃、母親が必要以上に習い事を云うので、それら全てを悉く拒否してしまいました。

2013/12/10 (Tue) 21:07 | ジンジャー #- | URL | 編集
ひとそれぞれ

「おもてなし」は、本当に人それぞれですね。

私は、笑顔が私の一番の「おもてなし」
だと思っていますよ!(^_^)v

確かに、神主さん私もはじめの頃、実は嫌われてるのかな?と凹みましたよ(^。^;)

今になれば、ああ~なるほどな、それが神主さんスタイルなんだなと理解は出来ますが、時々「はよ帰れ」って思われてるように感じる時も…

まあ、今は「きっと忙しいんだな」と気にしてませんが。

今回のブログで喉につかえた小骨が取れたみたいでスッキリしました。

ありがとうございます。

2013/12/11 (Wed) 23:02 | 花梨糖子 #- | URL | 編集

人の距離の取り方って本当に色々ありますよね。
因みに私が思う最強の言葉は大阪のおばちゃんが言う「飴ちゃんいらん?」です(笑)
実際、知らない方から言われたことありますが、インパクト大ですよ(笑)
私も自分のことあまり和歌山県民だとは思っていませんが、吉本新喜劇の影響を受けているあたり、関西人である自覚はあります(笑)

神社って色々作法ありますね。結婚式御奉仕するのに一通りにわかで教えていただきましたが、舞の作法とはやはり違うので(慣れてしまえば一緒なんだと思いますが)頭が「ごちゃ」になりました(^^;)

日常生活でも色々「型」ありますよね。私はちゃんと出来ませんが(右手の中指と薬指が悪いので(^^;))お箸の持ち方とか…。

2013/12/16 (Mon) 22:42 | 煌夜 #- | URL | 編集
ジンジャーさま

共通していますね。
それでそこには日本の精神のようなものが流れているのですが、
でももう一歩すすめて視点を大きなくくりにしてみると、外国にも同じところに到達できる道があるんでねやっぱり。
私たちには一番馴染みやすく、しっくりくるのが神道なんですけどね。

2013/12/18 (Wed) 22:18 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
花梨糖子さま

そうですね。笑顔というのは相手も笑顔になりますしね。

のどの小骨が取れましたか。それはよかった(*^ー゚)b

私の場合は距離感が微妙なんですね。私の性分なのですが。
神社にいるときは神様のほうを向いて用事するモードのままのことがありますので、神社の外だったらくだけて接する方であっても、硬いままだったりします。
神社にいるときでも神様のほうを向いて仕事でなく、人(参拝者)のほうを向いて仕事するときにはゆるかったりします。

2013/12/18 (Wed) 22:27 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
煌夜さま

関西は吉本新喜劇の影響はみなありそうですね(笑)

私は逆に舞の作法はあまりわからないですね。舞いませんから・・・

日常生活の型、ありますねいろいろ。
それがあって成り立ってきた国でもあるんですけどね。
日本は型の文化だと思ってます。

2013/12/18 (Wed) 22:32 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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