言葉にはなにやらものすごい力がありそうだと私は感じます。
言葉として発せられたことで、そこに何かが生まれます。
物理的なことでいうと(物理的というのかどうかわかりませんが)言葉を発することで「音」が発生しますね。それはまあ別に驚くことでもないかなと思います。
それとは別になんだかわからないですが、言葉が発せられると「音」以外にまた別のものも生まれています。
私が「私はあなたを愛しています」と言葉を発したとします。
そういえば・・・愛しているという言葉は最近できた言葉なんですよね。私は言語学者でもないので詳しいことはわかりませんが西洋からはいってきたLOVEを日本語訳する過程でできたものなんだと以前なにかで読んだ記憶があります。
「愛」ははるか昔からあると思います。字も似たようなニュアンスも意味も。古い言い方だと愛でる(めでる)というような言葉ありますし、愛宕神社、愛染明王、「あい」と発音するものも。
「私はあなたを愛しています」というような「愛する」という言葉が最近なのだと思います。
あぁ、いつかそういうセリフ言ってみたいなあ・・・
あなたを愛しています( ̄∇+ ̄)vキラーン
まぁ・・・(。-_-。)ポッ となるかもしれなし
きもい・・( ̄へ ̄|||) となるかもしれません
いずれにしても「アナタヲアイシテイマス」という音だけでなく、相手には何かが伝わったということです。「アナタヲアイシテイマス」という音や記号のようなもの(文字)によって私と相手は同じものを共有したわけです。
それで、その共有した同じものを受けて相手の中で新しく何かが生まれます。
(。-_-。)ポッなのか( ̄へ ̄|||)なのか、そういう感情というか動きというか何かが生まれます。
例えば「愛」という形のないフヨフヨしているものが、「アイ」という音や「愛」とう字など言葉によって形あるものとして私たちの生きているこのフィールドに生み出されます。
だから言葉とは「無」から「有」をつくり出すことができるすごいものなんだといえます。
さらに、「愛」とう言葉によって私の頭の中でも、相手の頭の中でも同じものが生み出されます。固有名詞はわりとわかりやすいです「富士山」といえば多分みなさん同じものが頭に浮かんでいると思います。
「風」は目にみえないですが多分みなさん同じものことが頭に浮かんでいるかと。言葉が生み出すものとはある種のものごとの本質、真理のようなものなんだと思います。
この世の中は真理によってなりたっているのだと思います。風がふくこと、海で波が寄せて返すこと、日が昇ること、人が暮らすこと、それ自体が、今この世の中がここに在ること、それ自体が本質であり真理なのでしょう。
言葉というものは、「カゼ」という言葉から生み出される「もの」は、誰にとっても、今日も明日もいつでも同じもの。それの本質なわけで「魂」です。それだから「言霊(コトダマ)」というものが存在、発生するのではないかと思っています。(注!私がそう思っているってだけです)
形ないものが、その本質(魂)が言葉という器を借りて、私たちの生きているのと同じ次元に生み出されます。ただ、器を借りているのですから、言葉として生み出されたものはその本質そのものではないですね。
神道はお経や聖書にあたるような教義経典を持ちません。開祖様がいて教えを説いているわけでもありません。神道は「言挙げせず」、あえてことさら言葉にしないとされてきています。だから神道は宗教ではないといわれることもあります。
言葉にすることで、言葉という器を借りることで、本質に形があらわれて捉えやすくなる反面、本質そのものではなく器を通してみることになります。
静かな静寂の中であれば耳をすませばそういう本質が聞こえるかもしれないのですが、現代はまわりに大きな音が多すぎて、耳をすませてもとても聞こえる環境でない気がします。だから私は現代においてはある程度言挙げは必要だと思っています。きっかけとしてね。
そんなことを思うのでこんなやってブログで発信したり、本を出したりしているわけです。
とりあえず言葉は一旦ここまで、関連することを次回につづけてみます・・・
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