かけちから2

前回からのつづきです

食べることに感謝するということは、単純化すると食べるものを粗末にしないということですし、食べるものはとはすべて命ですから、食べるものを粗末にしないとは必要以上の不要な殺生をしないということですし。
さらに言葉をかえると、どんな命もすべて大切なものですよ。ということだと思います。

動物はほかの命を絶って食べることでしか生きることができません。これは変えることができないことです。だから問題なのは「自分が食べるためにほかの生き物の殺すこと」ではなくて、「自分が食べるものが他の生き物の命だ」ということを忘れていることです。
で、こんなことあえて言うのもバカげてますが「自分が食べるものが他の生き物の命だ」ということを忘れていなければそれだけでいいわけなくて、当然それがわかったならば粗末にしてはいけないし、食べられるものを廃棄するなんてもってのほかですし、食べ残しはしない、自分に必要な分だけをいただくようでないといけません。(現代の人間以外の動物はそれが当たり前ですけど)

グルメとか、早いとか、手間がかからないとか、便利とか、それらを際限なく追求するのは「他の生き物の命だ」というのを忘れ、食べることができるのが当たり前になってしまい食への感謝がないからでしょう。
需要があるから生産側も生産性を向上させるために工場の生産ラインのような管理で動物の命を扱うことにもなっているのでしょうし、廃棄される食品はぐっと減るのではないかと。
近いところでは終戦直後の日本もそうですが、その日に食べるものがなかったころ人は食べることができるということに感謝がありました。そこに動物だから、植物だからの区別はなく、食への感謝があります。
現代でもお肉、魚、野菜と、好きなものを自由に選んで食べることができるのは、ごく一部の国と地域の恵まれた環境の人だけです(現代の日本は幸いなことにその一部ですが)。それ以外のその日食べることに一生懸命の大多数の人は食べられることそのものへの感謝がありますし、そこに動物、植物の区別はないはずです。


さらに、古くは神様に食べものを御供えするのは、たとえ自分たちが食べる分がなかったとしてもガマンして神様に御供えもしていました。お供えした後にそれをいただくことはもちろんあったとは思いますが。
戦後まもないころ、うちの神社でもお供えものが盗まれることがよくあったそうです。近所の方たちは、自分たちがお腹すいているのをガマンして神社の祭りに神様にお供えしてるのに、それを盗むなんて・・と交代で一晩中見張りをしてたこともあったと古老の方から聞いたことがあります。


自分たちの力ではどうしようもないこと、作物がよく実るように天候に恵まれるように、でも天候は自分たちではどうにもできないこと。だから神様に祈り願っていました。
神様に食べ物を供えることも、今は食べるものがあってもこの先も食べていけるかどうかはわからない。大雨で被害がでるかもしれない、海に漁に出ても取れないかもしれない、それらは自分たちではどうしようもないことだから、神様にお供えして今後も食べることができるようにと願ったものです。
今の日本では事情は違いますが、昔の人々にとったらそれらは生き死にに直結することですから真剣です。

鹿の頭を供えると伝わっているのも、山で暮らす人々にとって鹿を捕り食べることは自分たちの命をつなぐことそのものですから、鹿が捕れるかどうかは生きるか死ぬかの問題です。自分たちの命をつなぐための糧をいただけたことに感謝して、この先もそれをいただけるようにと願うこと。
こういうものは神事として1000年も、もっともっと前からずっと続いてきています。

前の記事でも書いていましたが、鹿の頭を神様に供えるという行為、そこだけをみると現代の日本に生きている人からすると残酷に思う人もいると思います。ただそれは現代人の感覚であって当時の人々にとっては自分たちが生きるため絶対に必要なことでした。
それを現代人の感覚だけで判断することなどできません。


昔は川が氾濫すると作物はすべてダメになるし、大勢の人が犠牲になるし、だから川を鎮めるために人の頭を捧げものとして供えていた、というものもありますね。これは中国のはなしだったかな。のちに人の頭のかわりになるものとして饅頭ができた。だから頭ていう字なんですよね。

日本でも土地を鎮めるための人柱や、荒れる川、これら地の神や川の神、荒ぶる神を鎮めるために人を捧げるという話は多くのこってます。
現代人の感覚からすると人の命を使うなんて・・・と思うことでしょうが、当時の人たちにとってはそれらは死活問題であり、どうしてもやらなければいけないことだったのでしょう。

そういうのをみると神と人はずいぶん近くで生きていたのがよくわかります。


あと1回だけつづく・・・


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平成24年お火炊祭 | Home | かけちから

コメント

植物

今朝の新聞でアメリカの大統領選挙の投票日の謂われが書いてありました。

当時は農業中心の生活で丁度ひと段落ついた月である亊と、日曜日は礼拝で、遠路はるばる月曜日に家を出て火曜日に投票してたからだと……

合理主義のアメリカですが昔の風習も大切にしてるんだ、と感心した次第です。

ところで動物は植物より優秀か?
菜食主義の人が見落としている亊があるように思います。

動物は生きるために餌を求めて文字通り移動出来ますが、植物は移動出来ません。子孫を残すために種子を風にまかせ飛ばす…。

ですが、考え方を変えれば、植物は移動する必要がないから大地にしっかり根をはっているのだそうです。これはラジオで植物学者さんが展開していた論説ですが、目から鱗が落ちました。

まあ詳しい亊は置く亊にして、全ては同じだと云う訳です。自然の恵みに感謝する亊を忘却してはならない訳です。

赤い血を流すモノだけが生命を持っている訳ではないですよね。

2012/11/07 (Wed) 09:40 | ジンジャー #lH9P8MKE | URL | 編集
『いただきます』

この前スーパーに買い物に行って驚きました!

骨が全部取り除かれている 鯖がパックに入って売ってました。

なんでも、こうしないと魚が売れないんだそうです。
最近 売れない野菜もあって、大根やカボチャ
どうして料理するかわからないというのです。

こんなわけだから

『いただきます』の意味すら知らない人が多いのは事実です!

自分たちの命を維持する為に他の命を犠牲にすることをしっかり教えなきゃ行けないと思っています!

昔 おじいちゃん の家で 鶏をさばいてるのを見て しばらく…鶏肉が食べられなかった自分をふと思い出しました。

2012/11/09 (Fri) 18:05 | 見古都 #- | URL | 編集
ジンジャーさま

動物は植物より優秀か
ぜったいそんなことはありませんよね。
人間の基準でものを考えると優劣はつけられるのでしょうが、それはあくまでも人間の基準、しかもその時の基準なだけだと思います。

食べるもの、食べられるもの、の関係も人間の基準で考えるとかわいそう、残酷となりますが
自然界ではそうではないのだと思います。本当の意味では。
それらすべてがつながっているのだと。

2012/11/23 (Fri) 21:59 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
見古都さま

すごいですね。「食」というものが大きく変わってきているあらわれですね。でもそれはごく一部の限られた国、地域だけのはなしなのですよね。世界中の大多数のところではまだ飢えもあるし、食べることができることへの感謝はありますよね。

食ということ、これは生きることそのものですから、大切さはしっかり伝えていかないとと思います。

2012/11/23 (Fri) 22:04 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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