かけちから

懸税(かけちから)
伊勢の神宮では十月十七日に神嘗祭(かんなめさい)というお祭りがあり、この陛下からの初穂の束が瑞垣御門の柱に懸けられます。
この陛下の初穂を先頭に、瑞垣の周囲には、全国各地から献納された初穂の束が懸けられます。これを「懸税」(かけちから)と言います。
(瀬戸神社様のページによい説明がありましたのでお借りしました。)
http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/kouza/kouza02.html


こんな感じ。(伊勢赤福さんから)
121102.jpg
http://www.akafuku.co.jp/ise/?date=20121013

うちの神社でも毎年初穂を奉納いただきます。それを11月の秋祭りで神様に御供えして、その後いただいたり、授与品や、縁起物に使わせてもらったりします。
今年も初穂奉納いただきましたので秋祭りの前に昨日、懸税(っぽい感じ)でかけさせていただいています。
懸税(っぽい感じ)というのは、去年までは拝殿玉垣がありましたので、そこにかけていたのですが、拝殿補修工事をしたときに玉垣を撤去しないと工事できませんでしたので、玉垣を撤去しました。なので今は拝殿玉垣がないので(っぽい感じ)でということでした。(=^_^;=)ゞ 

121101CIMG2234.jpg
いうまでもありませんが、これらは食べることができることへの感謝、この先も無事に収穫を迎えることができるように願うものです。
秋におこなう新嘗祭(にいなめさい)はその年の初穂(新米)を御供えして収穫を感謝します。新嘗祭がすむまでは新米を食べることはありませんでした。今はそういう習慣は失われつつありますが・・・
残したいというか、復活させたいなあと思います。
ちなみに天皇陛下はいまでもそれをまもられて、新嘗祭(皇室祭祀では呼び方違いますが)すむまでは新米口にされません。


で、関連して、少し前になりますが4年前に書いた記事に菜食主義の方からコメントを頂いていました。
http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-438.html

神様にお供えするために生き物の命を奪うのは残酷だからやめるべきで、いくら感謝しても命を奪われた生き物に対してなんの意味もない。ひどい神主だ!的なご意見だったのですが、わたしの言いたいことと、その方の受け取り方にズレがあるような気がします。どちらかというとその方のいうことと近い気がしますけどね・・(もちろん同じではない)

このブログは多くの人に対して神社や神道、日本のこと、心のありようなんかを身構えることなく、気軽にふれてもらいたいと思ってやってます。だから異なる考えの人と議論する場にはしたくないので、その方の主張に反論、論破しようとするつもりはありません。
議論の場にしてしまうと大勢の方が楽しく読めないですからね。
ただ、まあひとつのきっかけとして、その方の主張への反論ではなくて、わたしの思う命と食についてもう一度書いてみようかなと。
なので、コメントくださった方もよければ楽に読んでみてくださいね。


食べることに感謝するということは、食べるものを粗末にしないということですし、食べるものはとはすべて命ですから、食べるものを粗末にしないとは必要以上の不要な殺生をしないということですし。
さらに言葉をかえると、どんな命もすべて大切なものですよ。ということだと思います。

次回へつづく

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コメント

勤労感謝の日

今晩わ、いつも勝手な亊を書き込みさせていただきありがとうございます。

古老の方は、天長節と同様に、11月23日の亊を新嘗祭と言われますよね

うちは以前にも書き込みしましたが炊きたての御飯を神棚と仏壇に御供えしてから食事が始まりました。

ファミレスやコンビニ、昔流に云うと「店(てん)やもん」主流になってきた食事の世の中、あまり新嘗祭の意味あいピンとこないかも知れないですね。

だからこそですよね(^o^)/

2012/11/02 (Fri) 21:57 | ジンジャー #- | URL | 編集
勤労感謝の日より新嘗祭

食にまつわる問題は難しいですね。
だらこそ、毎日の食卓が大切なのかも。
頂きますとか、ご馳走さまと言わずに食事をされる方と言うのは、
それが単なる口に入れる、
空腹を満たすだけのエネルギー源としか映らなくなっているのでしょうか。
リンクを張って頂いた記事を読みましたが、
う~ん、ちょっと考え方のずれがあるように私も感じました。
しかし、根は優しい方なんでしょうね。多分。

食事の挨拶は、命を頂いた動物や植物への、
尊敬と感謝の気持ちだと思います。
新嘗祭の趣旨は、自分が生きていること、生かされていること、
そして作物を自然界から頂いたこと、
それらに感謝することだと考えます。

植物も命を持っています。枯れて種になっても生きています。
それを頂くのだから、お魚やお肉となんら変わりはないと思います。

だからこそ、感謝の気持ちを挨拶に込めると思います。
菜っ葉や小麦粉かそのままポンと出て来るわけがありませんからね。

余所さまで長文を打ち込みました。たいへん失礼をしました。

2012/11/04 (Sun) 15:54 | 阿修羅王 #QmhNi1cU | URL | 編集

はざかけ、毎日通ってるのに気付きませんでした。
新嘗祭といえば、どぶろくをよばれてみたいです。

神事というのは八百万のものに神が宿り、そういうものに感謝をささげて、生きさせていただく礼みたいなものだと思っています。さすがに、今は生け贄は捧げませんけど。

肉食しない方は、ともすれば感情的に肉食する人を責めます。たしかに肉を食べなくても生きられるでしょうし、私たちは殺生する現場を見ていないから、気軽に肉のパックを手に取れるのだとも思います。
厳格な僧侶などは、木の実のように刈り取ったりしないものだけ食べていたそうですが、そういうことにこだわりだすと極限まで行ってしまうでしょう。世俗に生きる人間は、そこまでつきつめられないので、命を頂くのだから感謝して頂戴する。残さず、おいしくきれいにいただく。それで充分ではないかな。
生き物は全て捕食活動で生きながらえているのですし、私はたぶん美味しいものを頂くのがやめられないので、感謝して「いただきます」と食べたいです。

2012/11/05 (Mon) 15:44 | ぽん #- | URL | 編集
お久しぶりです!

自分のMRIの検査結果が出るまでなかなか落ち着いてブログも読めませんでしたが、なんともなくてひと安心してます。

食事に付いての心配は、アメリカから色々情報があり、今 子供の砂糖中毒や炭酸中毒が問題になっていて、いずれ日本も同じ道をたどりそうで怖いと思っていたところです。
食べ物に対して無関心で目先の空腹を満たすことと嗜好ばかりに重きを置いた現代の食への考えが 招いた結果だと思われます!

神主さんのブログの内容から逸脱したコメントになってしまってますね
ごめんなさい

2012/11/06 (Tue) 16:14 | 見古都 #- | URL | 編集
ジンジャーさま

いつもありがとうございます。
新嘗祭。いまでは競うように新米入荷、新米をつかってますとあちこちにおどってますが、
以前は新嘗祭で感謝と次の収穫を祈り、神様にお供えしてからはじめて人が食べはじめたんですよね。

そういうのぜひ復活させるべく活動したいとおもってます

2012/11/06 (Tue) 23:00 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
阿修羅王さま

ええ、だから毎日の食は大切にしないといけないと思います。
生きるというのはそういうことだと思います。
他の命を絶ち、それを自分の中に取り入れて、それが自分の命となる
そういう連鎖、それが生きるということで、自分の命とはその他多くの命とともに成り立つものであるということ。

日本にある
いただきます
ごちそうさま
これは素晴らしいと思うのでぜひ残し、伝えていかないと

2012/11/06 (Tue) 23:04 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ぽんさま

> はざかけ、毎日通ってるのに気付きませんでした。
外からは見えないと思いますよ。以前は拝殿にかけていたので外からでも見えたかもしれませんが、その時はまだ南側が開いてなかったのでやっぱり外からは見えなかったことでしょう。

おとなりでも、うちでやってる知らないこと結構ありますでしょ?

どぶろく、新嘗祭のお酒ですね
お祭りのあとみなさんに振る舞いますから、参集所あがってもらえれば、飲んでもらえますよ。
以前は役員さんばっかりでちょっとかたい雰囲気でしたが、最近は役員さん以外の方もおられるので雰囲気ゆるいと思います。


いただきます
はぜひ大切にしていきたい習慣です。
生きるっていうことは食べることですし、食べるとはほかの命を絶つことですし、
生きるとはそういうことですから、そこに感謝は絶対に必要だと

2012/11/06 (Tue) 23:11 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
見古都さま

自分の検査結果が出るまでとは、MRIは精密検査する機会ですよね。結構大がかりな検査されたのですね。
なにもなく健康でよかったですね。わたしも行かないといけないなあ・・

いえ、逸脱してないですよ。
食って大切ですし、食べることは生きることですから。
食がずれてくると、人もずれてくるように思います

2012/11/06 (Tue) 23:14 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

以前お寺で、「食べ残す事と最初から箸を付けない事は違います。食べる時は食べる量だけ皿に取りなさい。もし食べられない量を出された時は食べられる分だけを残してほかの誰かに食べてもらいなさい。一旦箸を付けたからには最後まで残さず食べなさい」という話を聞いて食事をした覚えがあります。
まぁ、ウチは百姓だったから、残すと爺さんの拳骨が飛んで来てたので、残さず食べるクセが身に付きましたが…笑

2012/11/08 (Thu) 11:45 | あったん #Zp5gm5qQ | URL | 編集
ウチは物差し

>>爺さんの拳骨が飛んでキター

ウチは1メートルの物差しでバシッて叩かれました。食べ残さない亊は何処の家でも躾として当たり前だったんでしょう。

まあ拳骨や物差しで叩く亊が体罰か虐待かの問題はありますが…

今は反省を促すために正座させることさえ学校では体罰として大問題になる時代です。ヽ(・_・;)ノ

2012/11/09 (Fri) 13:46 | ジンジャー #lH9P8MKE | URL | 編集
あったんさま

わたしたちも「食べ残さない」ということは絶対的に大切なこととしています。神主の勉強するときにもそれはありましたが、
小さいときから自然としつけられていました。残さず食べきるまでごはんは終われませんでした。
うちの弟は食べるのが遅くて、食べられないものもあったので、遅くまで、いつまでもごはん食べ続けてたのを思い出します。

2012/11/23 (Fri) 22:08 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ジンジャーさま

うちもふつうにしつけとして食べ残さない、というのは教えられていました。
家庭でのしつけに拳骨、物差し、まったく問題ないと思いますね。
体罰はそりゃいけませんが、反省をうながす指導といっしょになってますよね。
過剰に反応しすぎで教育がなりたたない事態になってるのでしょうかね。

2012/11/23 (Fri) 22:13 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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