円熟

前回からの続きです
20世紀型の経済、発展のパターンは大量生産して、価格を安くし、大量に消費する。そうすることで経済が成長し発展するという構図でしたが、この大量生産大量消費の構図によって弊害が出てきています。
21世紀に入って10年が経過して、そろそろ21世紀型のモデルへの転換期を迎え、すでに徐々にではありますがそれに気づいて新しいかたちへと変化がはじまっているようにも感じます。20世紀的な物質的価値を重視する時代から21世紀は心の時代への転換です。

前回の記事でコメントもいただいていましたが、日本でも「循環型社会」、「リサイクル」、そんな言葉もよく聞くようになってきました。また東日本大震災後は自然との共生という事もとくに盛んに言われるようになってきたと思います。共生というのが今後もっとも必要になってくると思います。自然との共生とか、違う国、違う宗教の人同士とか、前々回の記事のグローバル化?で触れいているように単純に同一化ではなくて共生が必要かと。

そういえば前回記事で経済と労働の話しから物質的な価値観からの転換、共生について話しを進めたかったのですが、ちょっとわかりにくかったでしょうかね。日本が労働に対してマジメで外国は怠けものとかいってるわけではありませんので、誤解なさらないでくださいね。

私はこの共生という感覚はものすごくしっくりきます。
神道でいう八百万の神はこの世のすべてのものに神が宿り、人間も、魚も鳥も、木も石も、海も空もすべてひっくるめて大きなひとつの存在であるというもの。私たちはその一部分であるということ。
私も毎日神様を拝み、祈っているわけですが祝詞には「いついつまでも子孫にまで栄え、繁栄し、発展するように」と必ず入っています。いつまでも発展し繁栄を願うのは当然ですが、この発展、繁栄というのは経済成長をし続けるということとイコールではないように思います。
アレもコレもと増やし続けることだけが成長、発展ではないのだろうと思うんです。もちろん成長を続けることは大切なことですが、今あるものに磨きをかけていくこと、これも大切な発展です。どこかで聞いたことがあるような気もしますが「円熟した社会」というやつでしょうか。
円熟とは辞書には人格や知識・技術などが十分に発達し、豊かな内容をもつようになることとあります。


人類が様々な技術を手に入れて、宇宙にいったり、地球の裏側とでも同時に情報のやりとりしたり会話ができたり、すさまじい発展をとげました。ただこのような劇的な変化はここ100年程度のはなしで、150年前は日本だと刀をさしたサムライがまだ町を歩いていた時代です。変化が劇的すぎ、はやすぎ、技術が先行してしまって人間がおいついていないのが実情です。

乗り物で東京―大阪間を1時間半で移動できても人間の足ではそれは無理ですし、照明で24時間明るく照らしていても人間は眠らないと体を維持できません。
技術の進歩が劇的すぎて、恩恵が大きいものだからどうしてもアレもコレも、あるものは全て・・・となってしまいがちですが、それは人間には無理だと思います。時間は24時間ですし、手足は二本、頭はひとつ、アレもコレもたくさんありすぎるとそれが両手からこぼれ落ちてしまいます。でもこぼれ落ちてもほかにいっぱいあるから落ちても気にならない、そんな感じではないかと。


新しい技術を開発し発展させているのは人類ですが、それは人類の発展、進歩なのか?と思うことがたまにあります。いつも言うのですがパソコンが誕生、普及して、私も文書はほぼパソコンで作るようになりました。その結果、漢字が書けなくなりました。漢字を自動で変換してくれるから。小学校で習う字もたまに思い出せない自分に驚きます。
これって人の発展、進歩なんだろうかと不安になることが・・(笑)

人類というと人間のことですし、魚類だとお魚たち、鳥類は鳥さんたち。
人間が技術を開発し進歩していること、その人類の作り上げている文明が進歩発展しているのは間違いないことですが、厳密にいうとそれは技術の進歩であり人間そのものの進歩ではないのでは?と。


長くなったんで分割します
つづく

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コメント

底にあるもの!

交通の発達やネットの発達は、諸刃の剣なのだと思います。

ヨーロッパまでだいたい 14時間、半日で会いたい人に会えたり、スカイプで顔を見ながら話せたり 恩恵ははかりしれません。だけどその分

情報が漏れたり 空港を作るため山林が伐採されるマイナスもあります。

そこをしっかり踏まえておくのが大切なんだと思います。

神道であれ仏教であれキリスト教であれイスラム教であれ、ようするに

誰ひとりとして、自分の力で生きている命など存在しないのだよ。
全ての命は「目に見えるもの・見えないもの」も含めて、全ての存在を「分かち合って」成り立っているのだよ。
それが自然の姿です。
「独り占め」しようとするのは、人間だけで、自然界にはない、不自然な行為です。

と言いたいのだと私は、思います。

2012/07/11 (Wed) 21:12 | 見古都 #- | URL | 編集
武士道と騎士道

異なる環境から生まれても、相通じるものがあります。
本質が同じなら共生はできると思います。
自分を見失わない節度あるグローバル化は大賛成です



技術革新のスピードに人間が追いついてないのは感じます

方向は徐々に変わりつつありますが
スピードを下げるのは難しく思います

人間が追いつくには「心の豊さ」と「教育」が必要と思います

明治の日本は世界一の教育立国でした
だからこそ文明開花にかろうじてついてこれたけど

急速に発展してるお隣中国では
日本人には想像外の問題を抱えてます


やはり…人間教育が大事だと思います

2012/07/11 (Wed) 21:24 | マガミ #- | URL | 編集
ひとりごと

今晩わ、いつも理屈っぽい書き込みをさせていただき恐縮です。ありがとうございます。

もうひとつ忘れてはならないものに、臨終の場に立ち合う亊があろうかと思います。自宅で看病、葬祭をあまりしなくなってます。死者を悼む気持ち、土葬に代表される「土に還る」、鎮魂・慰霊…仰るように、たかだか150年で希薄になってますね。

2012/07/11 (Wed) 21:54 | ジンジャー #lH9P8MKE | URL | 編集
見古都さま

> と言いたいのだと私は、思います。
と言いたいのです。
はい。

まさにそのとおりですね。自分の力だけで生きているものなどひとつもないですものね。
人間はそういう本来のあり方をよく忘れてしまうと思うので、それを何かのおりに思い出せるように、そういうきっかけになれればと思っています。

2012/07/16 (Mon) 16:18 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
マガミさま


武士道、騎士道、通じるものもありますね。というか私が武士道、騎士道をどれだけ理解できているかは疑問ですが(笑)
○○道というのはどんなものでも通じるものがあるはずです。それが真理に基づくものであれば必然的に到達点が同じになるからなんでしょう。
茶道と武道が対極にありそうでいて、通じるものが恐ろしく多いとはうちの近くにおられる茶道の師範の先生がよくおっしゃっています。
教育が大切なのは間違いありませんね。
すべての基となるものですからね。これからしっかりと立て直していかないと。

2012/07/16 (Mon) 16:27 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
ジンジャーさま

臨終の場に立ち会うことは大事だと思います。
身近な人の死を経験することで、様々な大切なことを覚えていくのだと。また、何度か記事でも書いていますが、子どもの頃に自然にふれること、虫など捕まえて遊んで命とは何なのかを覚えるのも大切だと。

2012/07/16 (Mon) 16:30 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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前回からの続きです。20世紀型の経済、発展のパターンは大量生産して、価格を安くし、大量に消費する。そうすることで経済が成長し発展するという構図でしたが、この大量生産大量消

2012/07/12 (Thu) 04:49 | まとめwoネタ速neo