ライスシャワー

先日の清め塩のことを書いた記事に「清め塩だけじゃあなくて、祓い清めで撒くのは、米・粟・豆もそうじゃないですか」というコメントをいただいていました。今日はそれに関連した話をすこし。
先日から清め、祓いのことが続き、同じような話題ばかりでなんだかすみませんが、清め祓いは神道の基本なのでご了承くださいませ。

神道は清浄をもっとも大切にしますから、お祓いお清めはどんなときでも、それはもうしつこいくらいにおこないます。それでお祓いにつかうメジャーアイテムが大麻(おおぬさと読みます。神主がお祓いのときに使う、白い紙がバサバサとついたあれ)と御塩です。
大麻は手に持って振りかざすように使う道具ですが、御塩は撒くわけですが、塩以外にも祓いに撒くことがあるのがたとえばお酒であったり、またお米や豆を撒いたりすることもあります。
節分の豆撒き、鬼は外、福は内と豆を撒きますがあんな感じをイメージしてもうと想像しやすいかと。節分の豆まきも、鬼を追いはらう、厄をはらうわけです。

お酒やお米を撒くこともよくあります。私が普段おこなうのは地鎮祭や家、土地の御祓い、お清めのときです。これ散供(さんぐ)といい御祓いであり土地の神様への供え物でもあります。
お酒だったりお米だったり豆だったりと穀類が多いのですが、穀類は高い霊性の宿るものとされているからです。とくにお米は稲穂は一本の稲には無数のお米がつきますから繁栄の象徴ともされ日本で非常に大切にされてきています。
これは別に日本だけに限ったことではありません。欧米でも結婚式のあと新郎新婦がチャペルの外にでてきたところでみんながお米をかけて祝福するライスシャワーという習慣もあります。これは外国でも無数の実をつけるお米が繁栄や子宝の象徴とされているからですね。


ただ最近こういうことに対して、もったいないからやらないという意見もあります。
食べ物であるお米や豆をまくのはもったいない。食べ物を粗末にしている、冒涜だ。というものです。
神主にもお米をばら撒くライスシャワーはイカンという方もおられますが、私はこれらはOKだと思います。散供でもお米を撒くわけですし。神への供え物である散供とは意味合いは違いますけどね。


以前にも書いていますすが、私は絶対に食べ物は残しません。腐ってたりしたら別ですが、出されたものは基本的に残さず全て食べます。誰かと外食したときでもその人が残しそうなら私がそれ食べてます。たぶんほとんどの神主はそうだと思いますが
神主の勉強中に例外なく教わるのが食前、食後に唱和する歌にこんなのがあります。
「たなつもの ももの木草を 天照らす 日の大神の恵み得てこそ」
(たなつもの もものきぐさも あまてらす、ひのおおかみの めぐみえてこそ)

「朝夕に もの食ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」
(あさゆに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)


多分だいたいの意味はわかると思います。食べ物への感謝とは神様への感謝、祈りそのものですので、これは本当に大切にしている部分ですから、食べ物を粗末にすることは絶対にダメなんです。
ただ、食べ物を粗末にする、もったいないという事と、儀式でお米(食べ物)を撒くはイコールにはならないと思っています(私は)。

粗末にする、もったいないというのは本来の目的や価値を発揮しないままにすることですから、ご飯を最後まで食べずに残して捨てたりするのがそれです。効率よくするために、お客にはやく出せるように先に料理をつくりおきしておいて冷めたら捨てる。こんなのは粗末にするの典型だと思います。

儀式でお米を撒くというのは、「食べる」ではないですが、ちゃんとした目的があってそれに使われるということですから、粗末にするとは少し違うと思います。目的があればなんでもいいのかというともちろん違いますが、そこに感謝や祈り祝福がこめられているのならそれは価値を発揮できているのではないかと思うのです。そのあと鳥なんかが食べてくれるといいですよね。


「食物」というのは人間の立場からの見方ですが、当然ながら人間が食べるためだけにあるのではないですからね。人間が食べる以外の価値というか存在理由というかそういうのがあります。
海で泳ぐイワシは人間にとってはおいしい「食物」で、海鳥にとっても「食物」で、海中のプランクトンにとっては「食べられる者」で・・・
まあそういうことですね。


食物(人間から見た)を食べる以外の目的で使うにしても、感謝や祈りを伴って儀式等で使うなら「粗末にする」にはあたらないのではないか。というのも結局は人間の立場からだけの見方ですが、それでも感謝や祈りや祝福があるのかどうかの違いは大きいと思います。
それがあれば効率をよくするために食品を廃棄するというのはしないと思いますしね。
効率のため、自分の利益のために食品を廃棄するのは人間の立場、食べられる川の立場、人間以外の他の捕食者の立場、どの立場から見てもおかしいことで、この世のルールに違反している、それは間違いないのですから。

人間だけがなにやら特別な存在のように勘違いしてしまいがちですが、そんなことはない。おおきな枠組みの一員ですものね。


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コメント

ありがとうございます

登山で頂上に登ることを西洋流に云うと「山を制服」……ですが、やはり「登拝」ですよね。

日本古来の表現は奥が深いと最近思う次第です。

2012/06/23 (Sat) 18:51 | ジンジャー #- | URL | 編集
訂正

制服じゃなくて征服です。

戦後の歪みを救うのは神社だろうと思う今日この頃です。こころの拠り所こそ神社……いつもブログを楽しみに拝見しております。

2012/06/24 (Sun) 15:44 | ジンジャー #- | URL | 編集
コマーシャル

神主さんの『人間だけが特別じゃない』と言うのを読んでいて、あるコマーシャルを見ていたら、
蟻の巣ごと退治する薬品を宣伝してました!

確かに、蟻が上がって来たら嫌ですけど、子どもの時は母に『あなたが、お菓子を食べて片付けないからでしょ』と叱られたものです!

蟻を巣ごと退治なんて考えたこともありません。
蟻だって、立派な役割を持っているはず、たぶんこの地球上にいる生物で役割を持たず生きてるものなどないはずなのに
人間の益になるかならないかで生死を決めるなんて、なにか間違っていると私も思っています。

人間だって 生かせて貰ってる一つの生命に過ぎないのにね!

しっぺ返しが来なければ良いなって思ってます。

2012/06/24 (Sun) 16:52 | 見古都 #- | URL | 編集
人間だけが特別な存在…

ってのはキリスト教的思想(神は自分に似せて人間を造った)ですが、
西欧文化の流入と共に「人間だけが特別」って勘違いする人が増えたように思いますが

日本人の心には「人間は自然の一部」が根付いてると思います


植物→草食動物→肉食動物→人間…の食物連鎖の中で人間が為すべきことは

緑あふれる自然を造ることと思います


自然の循環を人間で終わらせてはならない

2012/06/25 (Mon) 16:52 | マガミ #- | URL | 編集

西洋では森は悪魔の棲み家ですものね。妖精もありますけれども……

「もったいない」―最近、無駄なことを称して流行りの言葉になってますが、私の祖母の生きてた頃は「畏む」に近い意味合いもあったような気がします。

昔は、工場の敷地とかデパートの屋上に必ず「お稲荷さん」の祠がありましたけれども、スペースが余分だからと見当たらなくなってきてますね。確かに車1台分くらいの敷地は確保出来ますものね。神社と云うか宗教アレルギーも影響してるのかもしれませんね。

2012/06/26 (Tue) 09:39 | ジンジャー #- | URL | 編集
ジンジャーさま

洋の東西でそのあたりはかなり違いますからね。おっしゃるとおり、山にしても征服という感覚ですし、森もそうですね。
宗教アレルギーは問題あるだろうと思います。日本だけですからねこんな変なの。
それには神道が大きな力を発揮できると思っています。もともと宗教にあらずからはじまっているし、日本人の習慣文化そのものですから、そこからはじめていけば・・・と

2012/06/27 (Wed) 18:53 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
見古都さま

わたしだから殺虫剤キライなんですよ。つかわないんです。
基準が人間の益になるかならないか、というのがきらいでして。
雑草もそうですしね。人間が勝手に雑草っていっているだけで・・
もちろん、わたし人間ですからその目線で、基準でいきるのは当たり前なんですが、それがおごりにつながりたくないということです

2012/06/27 (Wed) 18:55 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
マガミさま

> 西欧文化の流入と共に「人間だけが特別」って勘違いする人が増えたように思いますが
それは大いにあると思います。自然のとらえかたがそもそも違いますからね。西洋文化のなかではそのとらえかたが成り立ち、それは気候風土文化があるからであって、
それをそのまま日本へあてはめてもダメですしねえ

2012/06/27 (Wed) 18:57 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集
検索で来ました!

 コメント失礼いたします。
 妖怪館というHPを管理運営しているしろたと申します。

 うちで定期チャット会をやっておりましてそこで小豆とぎ(小豆洗い)や小豆はかりという妖怪の話題があり→米を撒く神事があった事を思い出し、まとめページを作る際にこちらの記事にたどり着きました。
(実はその前から見かけていたのですが)

 米だけではなく、豆を含めた穀物全般が恵みとして清めの儀式に用いられている事を知り、更にその結びきつきを感じずにいられなくなりました。

 とは言っても根拠がないのでこじつけになるかも知れませんが、日本人が抱く妖怪のイメージは自然や命そのものへの畏怖であり、古くからある信仰に通じるものがあるなぁって思っております。
(失礼を言って気を悪くしたら申し訳ありません)

 すっかり話が長くなりましたが、こちらの記事を引用させて頂きましたので、必要でしたらご確認頂ければと存じます。
http://yokaikan.jp/top/chatLog/log1505.htm

 何か問題がありましたら、引用の部分は削除させて頂きます(__)。

 それでは^^。

2015/06/13 (Sat) 18:19 | しろた #SFo5/nok | URL | 編集
しろたさま

拝見いたしました。とくに問題ないかと思いますのでどうぞそのままで結構です。

日本でいう妖怪とは、大きなくくりでいうと、神とも根本的に違うものではないですし、人間もまた根本的には同じ存在です。
ですから、日本人が抱く妖怪のイメージは自然や命そのものへの畏怖であり、古くからある信仰に通じるものがあるなぁって思っております。
というのはその通りだと思いますよ。
またどうぞなにかありましたらよろしくお願いします。

2015/06/23 (Tue) 12:02 | 神主 #X.Av9vec | URL | 編集

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