忘れ物

私は根が結構マジメなこともあり(A型です)、また私の話し方とか雰囲気もあるからだと思うのですが、人からはあまり失敗をしないように見えるようです。あらかじめビッチリと準備をして、念入りにリハーサルをしたりして、失敗のないように備えているみたいな。

ただ私、A型なんですがO型もかなりの割合で混じっていると思うんです。A型は几帳面とか、O型は大雑把とかよく言いますね。しかし血液型占い?ほどアバウトなものはないと思うんですがなんせ4分の1ですからね。
それはさておき今、神主として神社にいる私を見ている方はA型にみえるそうですが、それまで会社勤めしてたときや学生の頃はO型に見られていました。


そんなことですので割りと性格的にいい加減なところがありますので、しょっちゅう忘れ物とか失敗をやらかしています。さらに最近では年齢による物忘れも加わって忘れ物がかなり多くなってきています。


祭典をするときでもたまに道具類を準備することを忘れてしまったりします。神社での祭典の場合はなにか道具を忘れてもすぐに取りにいけますが、神社の外でおこなう出張祭典の場合は道具を忘れてしまったらどうしようもありません。家を建てる前や解体する前にお祓いをするとか文字とおり神社の外でおこなう祭りですから簡単に取りに戻れませんから。
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みまつがい

人間には誰でも間違いがあります。
書き間違いもありますし、言い間違いもありますが今日は見まつがいの話しです。

先日もブログで書いていますが、5年間かけておこなっていた境内の改修がようやく一段落しました。多くの方にお世話になり、協賛してもらってのことですし、一応の一区切りがついたということですので、御礼、ご挨拶にまわっています。
もちろん私が全てのところへ直接御礼に伺えればそれが一番よいのですが、小さな神社のことですがそれでも今回もお世話くださった方々は300人くらいおられます。すべてのお宅へ伺うのはちょっと無理ですし遠方の方もおられますから、私が行くほかにも他の人に頼んだり、御礼状等を郵送したりということになります。

で私が記念品等を持って御礼にうかがった先で、見まつがいが発生しました。
うかがった先のお宅でピンポンを押して、待つこと数十秒。
出てきてくださったのは数十年も前からずっと信心なさる品のよいご婦人です。御歳は90歳の手前、古くからうちの神社にお参りされておられますが、最近は足の具合が悪くなってきたためなかなかお参りすることができなくなっておられた方です。


出てきてくださったので、「武信神社です。今回はお世話になりましてありがとうございます」とご挨拶を・・・というところで、
その方はハンカチで口を押さえられ、目からは涙、お声はふるえておられます
えぇぇ?( ̄□ ̄;)!?
私はもうびっくりです。
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地域学習

先週うちの地域の小学校の宿題で「地域の行事について調べる」というのがあったようです。地域の行事とひとことでいってしまうと無数にありますが、先生がいくつかこれとこれを、とピックアップしたものを何人かずつで調べるというもののようです。
最近は神社はお寺のことが昔ほど身近でなくなっているとはいえ、地域の行事となるとまず神社やお寺のことがあがってくると思います。本来、神社は地域のつながりの基点となるべきところだと私は思っています。東日本大震災以降「絆」がいろいろなところで合言葉のようになっていますが、絆の結び目になるような存在だと。
神社は神様を拝むところでもありますし、子供の遊び場としても、地域の人々が集まるコミュニティの場でもあります。よく神社(神道)は宗教であって宗教ではないというようなことがいわれますが、そういうことだからでしょう。


そんなことで、うちの神社のお祭りについて調べる担当になった子たちが私のところにいろいろ聞きにきました。質問の内容は「お火焚祭(おひたき)」についてでした。
お火焚祭はなぜするのですか?
いつするのですか?
なぜミカンを焼くのですか?
などなど
毎年、低学年の授業のなかで地域探検?地域のことを調べる授業があり、そのときもたくさん子ども達がインタビューをしにきますが、今回は小学4年生か5年生くらい、高学年の子ですしたのでさすがに質問することもある程度事前に考えてあったり、受け答えもしっかりしていました。
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めずらしいこと2

前回からの続きです。はじめての方は先に前回の記事からつづけてよまれることをおすすめいたします。(しょうもない話しですが)

さて先日あっためずらしいことの2つ目。
その日は3月15日。毎月1日と15日は月次祭(つきなみさい)の日です。月次とは決まった通りの、いつも通りの、そんな意味の言葉ですから、いつも通りのお祭り、そんな意味です。
うちの月次祭は朝7時30分からです。いつも通り、普段のお祭りですからお祭りは神主だけでおこなうときもありますし、参列される方も数人の小さなお祭りです。

その月次祭が8時頃におわり、その日は出張祭典がありましたのでそのまま準備をして8時30分に出発しました。家の一部を解体してガレージをつくるとうことで、解体工事を始める前にお祓いをしてほしいというものでした。
解体する部分というのが、その家の方が以前犬を飼っておられたようですが、その場所で犬が自分の帰ってくるのをいつもそこでまっていた。もうその犬は死んでしまっていないけれど、その場所がなくなってしまうとなんだか・・・・・
ということでちょっとモヤモヤするのでお祓いしお清めをしてから工事をしたいということでした。

ちょっと場所は離れていたので9時頃にその家に到着し早速、清祓いのお祭りの準備にとりかかっておりますとなにやら小さな声で私を呼ぶ声がします。
小さな声だったので最初は気のせいか?と思っていたのですが、何度か聞こえたのでどうも気のせいではないようです。

えぇ?もしかしておっしゃっていた犬が呼んでいる?自分の場所を壊さないでと訴えているの?
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めずらしいこと

今日の更新はわりと個人的なことなので神社や神道のことなどあまり関係ありませんし、くだらない話しですが、もしそれでも読むさ!という勇気ある方がおられましたら読んでくださいませ。


昨日めずらしい出来事がいくつかありました。
めずらしい出来事があったといっても、私がひそかにやっている秘密の花壇で青色のバラの花が咲いたわけではありませんし、うちの神社の池にブラックスワンがいたわけでもありません。

というかなぜ青いバラやブラックスワンがめずらしいかご存知ですか?
青いバラはもともと存在しないものでした。バラの花には青色の色素が含まれていないため、青いバラを作ろうといくら品種改良をしても絶対にできなかったのだとか。だから「青いバラ」の花言葉には不可能とかありえない、そんな意味もあるそうです。
しかし最近遺伝子組み換え技術をつかって青いバラが開発されました。それをうけて「青いバラ」の花言葉に奇跡というような意味も追加されたそうです。

一方、ブラックスワンはというと、ブラック→黒色。スワン→白鳥。
だから黒色した白鳥ということです。そもそもこの時点でおかしいですしね。黒色なら白鳥じゃないじゃんって。だからブラックスワンという言葉は「ありえない出来事、とか予測もしない出来事」そんな意味で使われます。
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ひと区切り

うちの神社は明治から昭和のはじめ頃にかけて境内の整備を大規模にしています。それから100年ほど経過していまして、今いたるところに傷みがでてきています。一度に全部はできませんから、平成18年から5年間をかけて傷みのひどいところから順番に修繕をしていました。
まずは参集殿の建て替え。以前の建物は屋根が崩れ落ちてしまったので新しくしました。それから御神木の周辺の参道石畳の整備。北側末社社殿の屋根補修。など。
これらが平成23年度にひととおり実施できました。みなさまのおかげでございますまことにありがとうございます。

一応工事そのものは昨年12月に完成していたのですが、それからもろもろの処理などを今年の1月、2月で終えまして一応、五年前に計画していたことはできあがりました。
ですので先日、奉告祭をおこない、計画していた補修事業が無事に終わったことを神様に奉告しました。
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絵ごころ

前回までの記事が「中今」と題して4回連続で書いたのですが、かなりわかりにくかったはずです。ものすごく難解なテーマですが、それをスパっとはなせるなにかがあったわけでもなく、自分でもいまいちわかりにくい駄作だなぁというできでした。
そんなことですのでお口直しに今日はグダグダ記事にしよう!ときめました。なのでとくにテーマを決めずに書きはじめました。どうなることやら


京都は今日も雨。
別に何かの歌のタイトルではありません。ただ目の前で雨が降っているってだけです。
ここで一句

雨がふる あぁ雨がふる 雨がふる


はぁ・・・なんだそりゃ
わたしは自分でいうのもなんなんですが、芸術分野にはまったく才能がありません。絵はまったくダメですし、歌をつくるとういのも上のように致命的、字もヘタくそです。世間では神主や坊さんは字が上手というイメージがありますから、字がヘタなのは顔から血が出るほど恥ずかしいのです。
・・・いや顔から血が出てちゃダメですね。それはただのケガですね。

訂正。世間では神主や坊さんは字が上手というイメージがありますから、字がヘタなのは目から火が出るほど恥ずかしいのです。
・・・目から火が出るのも違いますね。それじゃぁ星飛馬だ。

とありきたりのボケはこのあたりにして、
字がヘタなのは恥ずかしくて顔から火がでる思いです。
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中今4

前回からのつづきです。先に前回の記事を読んでいただくと意味がわかります。
時が流れている、動いているとは言いますが、時間とはそれそのものは存在するものではなくって、実際はまわりが動いている、変化しているってこと。
時間の経過とはいうものの、時がながれるということは存在しない。たとえば走馬灯(死ぬ前に人生が走馬灯のようによみがえるというあの走馬灯)のようなもので、自分は動かずにじっとしているけれど周りが動いて変化している。そんな感じです。


ここから神主の視点に戻って書きます。
時間がながれて、過去や現在や未来が発生するわけではない。過去も現在も未来も全く同じものである。それらが繰り広げられている中心点とでもいえそうなところは数百億年前も今もまったく同じ。名前がないと話しにくいので、仮にこの場所というような意味で「ココ」と呼んでおきます。
過去も現在も未来もすべて「ココ」で繰り広げられているものであって、数百億年前も1万年後も本質的にはなんにも違いはありません。まわりのものが変化しているだけ。

これ、いつも私がいう神様と人の関係と同じです。
神様と人間は遠くはなれた、まったく異なる存在と思われがちですが、本質的なところでは同じものです。人間という存在は神様の一部分です。もちろん人間だけでなく、この世のあらゆるもの全て、山や海や木や鳥、また風が吹くこと、火が燃えること、雨が降ること、それら全てが神様。日本ではそれを八百万の神(やおよろずのかみ)とよびます。

人間と同じ姿をした山の神、海の神、風の神がいるとかそういうことでなくて、風が吹くということ、雨が降るということ、海があること、それそのものが神様です。
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中今3

前回からのつづきです。先に前回の記事を読んでいただくと意味がわかります。
過去・現在・未来、のはなしになりましたが、過去・現在・未来のことを考えようとすると必然的に「時間」のことを考えることになります。そもそも時間ってなんだよと。
ここからは神主の発言でなく個人的な発言になっていますので、まぁ適当にお聞き流しください。専門分野のはなしでないですから。


時間ってなんのかと考えるとまず見えないもの。
1時間、2時間とか、1日とか1年とか期間をあらわしたり、時の流れというように私たちが生きるこの空間の根底にあるもの、と理解されている思います。

でもよく考えると時間ってそれそのものは存在しないもの。
時間が流れている、動いているとは言いますが、実際はまわりが動いている、変化しているっていうことです。だから時間とは、それそのものは存在しないものなんだと思います。

「時間」というものが存在して、時が流れているのではなくて、ものが変化する前と変化した後で違いが生まれた、変化したという結果ということなんだと思います。
なんのことかわかりませんよね。自分でもうまく言えてないなと思います。

たとえば1日という時間は、朝に日が昇って夜に日が沈む、そして次の朝までが1日という時間です。
これもしが太陽が動かなかったとしたら、ずっと沈むことなく輝き続けて、同じ場所から一切動かなかったら。一日という時間は存在しないはずです。
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