社務所存亡の危機

一昨日、8月28日(日)に当社武信稲荷神社夏祭り子どもみこし巡行、事故もなく熱中症もなく無事に終了いたしました。最近は夏場に屋外でなにかするときは熱中症にとても気を使います。
水に濡らすと冷たくなってそれが長持ちする節電グッズ?クールスカーフというのがあるよ、と神輿の役員さんの会議のときに情報を聞いたので、子どもの数だけ用意してみました。休憩時もジュースやお茶をたくさん用意して、マメに水分補給。本当に熱中症にでもなったらたいへんですから・・・

当日はおかげさまで大勢の子どもたちが集まってくれました。お神輿をかつぎ、おみやげにお菓子をもらって、境内でスイカをたべて、楽しそうにやってくれていたのでうれしいかぎりです。ちなみにこのスイカは祭典のときにお供えしたおさがりのスイカです!
お世話くださった皆様、まことにありがとうございました。保護者のみなさまも暑い中ご苦労様でした。
この子どもみこしは30年ほど前に地域有志のみなさんによりはじめられたお祭りです。
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子どもみこし

8月28日(日)は当武信稲荷神社夏祭り子どもみこしの巡行日です。どなたでも参加できます。子どもさんのおられる方、参加してみてください。申し込みは社務所までおこしください。ハッピ、ハチマキをわたします。
8月28日(日) 1時30分にお祓いをうけて 2時に出発します。


お神輿です

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子ども神輿にしてはかなり立派なお神輿です。


参加者はハッピにハチマキです。
参加申し込み時にハッピ、ハチマキを渡しておき、当日その格好で集合してもらいます。大人の場合年齢が3歳、4歳くらい違っても別段体の大きさに違いがあるわけではないですが、子どもの場合年齢が3つ4つ違えば体の大きさは全然ちがいますので、ハッピの大きさも大、中、小とわけてあります。

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処暑

二十四節気暦、「処暑」は暑さの峠をすぎて徐々に涼しくなっていく時期です。今日、処暑をすぎ暑をすぎホントに暦のとおり、涼しくなっています。先日の雨の後は急に涼しくなってきて夜は虫の声も聞こえます。

なんですが、私はどうもここ最近夏バテ気味です。
体が重たいんです。これはたぶん夏バテだと思う。
ただ、先日の「早期発見」て記事で書きましたが、アゴの下、首のあたりに違和感を覚えたソレ、どうも二重あごの始まりではないか?との疑惑もありましたので、もしかしたら太ったからそれで体が重いだけじゃない?との説もありましたが、毎年わたし夏には食欲がおちて体重も落ちますので、それはないんじゃないかなとは思います。


今日は青年神職のあつまりである神道青年会という組織の会合の日ですので、これからそこへ出かけます。出る時間ギリギリなのであわてていまコレを書いているわけですが、青年神職というのは一応40歳までの神職と決められています。
私は神主になるまでにかなりいろいろな所に寄り道をしていますので、青年会に所属したのがずいぶんと遅かったので、青年会に入会してまだあまり年月は経過していません。だからまだまだ新人のヒヨッコだと思っていたのですが・・・

が、入会したときにすでにだいぶ歳をとっていましたので、今ふとまわりを見回してみると自分より年下の人が多くなっていました。神職になりたての人だったら20歳そこそこですものね。私とだったらヘタしたらその人の親とのほうが歳が近いんでしょうね。


というわけで、今日はもういかなければいけない時間になりました。
行ってまいります

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秘すれば花3

前回からの続きです先に前の記事を読んでいただくと意味がつながります。

はっきりと言葉にして表した場合、それは言葉を発した人の受信機を一度通したものですから、その時点で元のものとはまた違う新しいものが生まれていることになります。そしてその時点でそれは形を持ちますから、そこで有限となり仮にその言葉を発した人以上に感度のよい受信機を持った人がいたとしても、その有限以上のものは受信できなくなる。そんなふうにも思えたりします。

言葉にしてはっきりと表したものは、見えないものを形にするということなので多くの人にとって理解しやすいものになるのですが、言葉にした時点でそこには元のものとは別の新しいものが生まれている。目に見えないものを表そうとすると、何か他のものに例えて表現するしかないですからそれは別のものになるのは当たり前です。
だから言葉にしたものは、元々の「ミエナイチカラ」そのものではなくて、ミエナイチカラへ到達するための地図であるということですね。


「ミエナイチカラ」を私たちがいまいる次元の世界にもってくるためには、その力を受け取る人が、自分の脳や、目や鼻などの器官、心や感性を通して実体化させます。だからチカラを受け取る人のもつ受信機の性能によっては、ミエナイチカラは米粒ほどの大きさでしかないこともあるし、海よりも大きくなることも可能です。
もしミエナイチカラが目に見えたなら、目に見えているそれ以上の大きさにはなれないですしね。
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秘すれば花2

前回からの続きです先に前の記事を読んでいただくと意味がつながります。

神社、神道では「言挙げせず」として今まできています。言挙げせずとは、あえて言葉にして言わない。極端にいうとそういうことです。自分たちの教えを説くのは言葉で伝えるのが当たり前だと感じると思いますが、それを言葉にしてあえて言わない、そうしてきています。
そこに「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」ということと何やら通じるものを感じます。もちろん同じ意味ではありませんが・・・

あえて言葉にして言わないということなのですから、神社神道には明確な経典というものがありません。経典というとすぐに思いつくところでは対立の構図が目立ちますがキリスト教における聖書や、イスラムにおけるコーランですね。また仏教にも膨大なお経があります。
神社にはそれがないので低級な宗教であるといわれることがあるのですが、私は明確に書き記したものがないことが素晴らしいと思います。また日本的だなとも思います。

抽象的な言い方になりますし、話しは少しそれてしまいますが、明確に表してあると表す対象「ソレ」ははっきりしますよね。これこれこういうことだ、と輪郭がはっきりします。
明確に表していないということは輪郭がはっきりしているわけでないので、「ソレ」はいろいろなものに形を変えることができます。大きさも形も変化させることができます。
はっきりと言葉にして明らかにした時点でそれは有限のものになるのに対して、明らかになっていないものはそこに限界はなく無限の広がりが存在します。
また明確に表されていない、輪郭がはっきりしていない、そうであれば形、輪郭に多少の差異があったとしても受け入れることができます。
日本的だなと思います。絶対的な正しい存在、基準がありそれに一致しないものは認めない、というのでなくその基準の境界がぼやけているから、多様な価値を認めることもできるし、共存することができる。
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秘すれば花

秘すれば花、秘せずば花なるべからず

これは「風姿花伝」の中の一文。
風姿花伝は世阿弥(ぜあみ)の書いた芸術論文、といったところでしょうか。世阿弥は日本の伝統芸の代表格でもある能を完成形にした人物です。世阿弥はプレイヤーでもあり、天才的な作家、演出家でもあったので、現代でも芸能にかかわる人は一度はこの風姿花伝を読むのだとか。ホントかどうかはしりませんが・・・

で私は芸能に関わる仕事をする人ではないので、風姿花伝は読んだことはありません。名前と有名な「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」この言葉くらいしかしりません。
ちなみに「初心忘るべからず」も同じくこの方がこの書物で書いておられたものだそうです。

この「風姿花伝」が先日ふっと私の目の前に現れました。当社では赤ちゃんの命名に来られる方が非常に多いというのは以前から何度も書いています。命名、名付けをしていますので赤ちゃんだけでなく、ペンネーム、芸名、改名、などを希望される方も来られます。赤ちゃんに比べると圧倒的に割合は少ないですが。
で先日、芸名をつけて欲しいという方が来られましたが、その方の希望するイメージに、風姿花伝が出てきたのでした。
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今年も虫まつり

当社では去年から「むしまつり」というお祭りがおこなわれています。
漢字で書くと「虫祭り」
通常は神社でいう祭りといえば、神様を祀り(たてまつり)時間や場所を共有し、神様によろこんでいただくために様々なことをして(つかえまつり)、神様の力が強まったらそれを私たちにも分けていただく。というようなものです。

神様を迎えておこなう神事ですから、商店街や自治会でおこなう○○祭りや、格闘技イベントなどの○○祭り、というような祭りとはちょっと違います。

だから当神社の「虫祭り」も虫の神様をお迎えしておこなう神事・・・・
というわけではありません。
去年の様子↓
http://jinjakannushi.blog89.fc2.com/blog-entry-779.html

まぁ要するに、カブトムシやクワガタを近所の子ども達がよろこんで持って帰っているってことなんですが。
去年は山の近くにいる私の友達がカブトムシやクワガタを大量にもってきてくれました。街中の子どもたちは喜ぶのではないか?と。で案の定大喜びだったわけですが、今年も虫祭りあるのぉ~?とやってくるではありませんか。
もともと今年は虫祭り開催の予定はなかったのですが、そう期待されていると開催しないといけないのかなぁ・・・という気になってしまいまして、カブトムシやクワガタを捕まえに山に通っていました。

去年虫を大量に持ってきてくれた友達は今年はあまり時間がとれないようなので、場所を教えてもらって私が自分で山へ通っています。が、山へ通うこと5回以上。なのにいまだに一匹も捕獲できません。
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そういう時期なのかなぁ

ひさしぶりに神社のおはなしです。今日。
↑これは倒置法ですね。
倒置法とは、特別の表現効果をだすために、普通の語順を逆にする表現のしかた。
普通は「今日は、ひさしぶりに神社のおはなしです」と書くところ、順序を逆にすることで強調する効果をだす技法です。
って、別に今日ってことをそれほど強調したいわけではないんですけれど・・・

さてさて、今日は前置きもなにもなくいきなり本題にはいります。
神社の正面に提灯台があるのですが


正面鳥居の前に1対あり、神社の名前の書いた提灯があがっていますこれです
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3日前、この提灯台のうち1台が突然姿を消しました。
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ちょっとそこまで出かけたのか、家出したのか、提灯台に嫌気がさして転職したのか、提灯台に飽きたから電柱になったとか・・・

何にせよ、私にひとこともなく急にいなくなってしまわれるとこっちも困りますから、どこに行ったのかと探してみたわけですが・・・
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エネルギー4

前回からのつづきです。先に前回の記事を読んでもらうことをおすすめします。

300年前とくらべて現代は3倍時間が使えるようになり、できること、行ける場所、楽しめることが飛躍的に増えているけれど、それと幸せが比例していないのはなぜか。
ここ100年間の社会のスタイルを続けていては、幸せはないということなんだと思います。
人の幸せとは物質的なものでは得られない、幸せとはもっと根源的なものから得るものだからです。
物質的に満たされたとしても、心が満たされないと幸せは感じられない。逆に物質的に満たされていなくても、心が満たされれば幸福を感じるはずです。


そもそも人間には限界があります。人間には無限の可能性があるとはよく言いますが、無限の可能性を秘めてはいますが、身体の機能には限界があります。
でも技術が発達することで様々な道具、機械、システムを作り、それをうまく使うことで時速300kmで移動することができ、空を飛ぶこともできるようになった。人間の脳のような柔軟な対応はできませんが、コンピューターの計算速度は人間をはるかに上回りますからそれを活用し複雑な計算が可能です。
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エネルギー3

前回からのつづきです。先に前回の記事を読んでもらうことをおすすめします。

150年前から比べると、人間が使える時間は3倍以上になっているのではないかと思います。
使える時間が3倍以上になっているとすると、昔の人にくらべて3倍のことができるわけです。さきに書いた「楽しみ」の時間も、種類も昔の人とは比べようもないくらい多いと思います。
じゃぁ、昔の人と比べて、現代人は3倍、幸せか?

そういわれると自信はありません。
現代日本では自殺でなくなる人は年間3万人以上で、死因では6番目に多いものです。300年前の日本ではどうだったのかは私は正確なことは知りませんが、これほど多くはなかったと思います。


交通機関が発達して、移動時間が桁違いに短縮され、行動範囲が桁違いに増えた。
電気がありますから夜も昼と同じように明るくでい、真夜中でも活動することができるようになった。

機械をつかったり、技術が発達していて、300年前の人たちが3日かけてやっていたことが現代ではもしかすると1時間でおわることもあるでしょう。物事がものすごく効率よくなっていますから、なんていうか時間の流れ方も3倍になっているような気がします。
しかし人間の体、能力が3倍になっているかというとそうではありません。やっぱり眠らないと体は維持できませんし、精神を休めて休息しないとやはり異常があらわれます。
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